ロンドン・ディリー・メール紙
1906年
伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。
伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。そこには改革、公正、斡旋があった。(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りが、そこでは救済されるはずであった。
「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれるようにすべき立場に立っていると思う」と公はそう言明したのである。
ノース・チャイナ・ヘラルド紙
1905年4月
君ら(朝鮮人)も支那も全力を尽くして極東をロシアに売り渡そうとし、日本は巻き込まれた。
今その決算の日がきたのです。君らの愚かな行為の為に日本がどれだけの金額を支払わなければならなかったか、どれだけの命を失ったかを考えてもみなさい。
1905年8月18日
一部の外国人や朝鮮人は日本は保護統治を迫っていると非難するが、日本は開戦以来保護統治を行ってきたのだ。朝鮮の災いの元は日本ではなく、無知と迷信と残酷がまかり通る宮廷にある。戦争は朝鮮人に関係あるのに何の苦労もしなかった。そこに気付いて初めて保護統治と日本人の横暴に反対の論陣も張ることができよう。
ニューヨーク・タイムズ紙
1904年9月28日
日本人は朝鮮との間に追加条約を、どうやら取り決めた。条約によって望ましい改革への道が開ける。
それは朝鮮の利益にとって望ましいばかりでなく、疑い無く日本の為にも望ましい改革である。
朝鮮は日本人の財政顧問と日本の信任を受けている外交顧問の採用を誓約している。
(中略)
日本人は朝鮮が進歩の名に価する進歩を達成するためには、外にも数え切れない改革が肝要なことをよく知っている。
しかしまた、この時代の朝鮮が自発的にこれらの改革を採用する見込みのない事も、よく知っている
1905年4月29日
朝鮮でいま目にする変貌の光景は素晴らしい。
すでに実施された統治の諸改革は見事であり、国民には混じりけなしの恩恵となっているが、皇帝にとってや、宦官、占い師、易者、外国人寄生虫からなる宮廷には狼狽の種になっている。
大好評だね・・・。

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