なかでも特に有名なのは後三国時代にまでさかのぼるといわれる全羅道と慶尚道の対立である[3]。しかし、対立が現在のように露骨に表れるようになったのは、5・16軍事クーデターで朴正熙が政権を掌握して以降である。軍政から民政へ移行するために行なわれた1963年10月の大統領選挙では、全羅道において朴正熙(民主共和党)は尹潽善(民政党)を大きく上回る票を得たが、朴大統領の出身地域である慶尚道地域をインフラ整備[4]や経済開発・官公庁人事で優遇し、反対に全羅道地域が冷遇されたことで、慶尚道地域に対する反発が生まれ、政権側も選挙で全羅道に対する対抗意識を煽ったことで、地域対立に拍車がかかることになった。そして、1980年の光州事件が全斗煥政権によって「暴動」と認識されたことによって、地域対立は決定的なものになった[5]。
民主化が実現した結果、16年ぶりの国民による直接選挙で実施された1987年の大統領選挙では、盧泰愚(民主正義党)、金泳三(統一民主党)、金大中(平和民主党)、金鍾泌(新民主共和党)の有力四候補(1盧3金)がそれぞれの出身地域における地域感情を利用した選挙戦を展開した結果、出身地域において得票が大きく偏る現象が生じた[6]。そして、翌年4月の第13代総選挙でも地域感情がそのまま選挙戦に持ち込まれ、1盧3金の4人が率いる政党がそれぞれの出身地域において議席を独占する結果となった。これ以降の大統領選挙や国会議員選挙、地方選挙において有権者が政治的思想や立場に関係なく自分と同じ地域を出身地とする政治家、地盤とする政党に投票し、他の政党に対する拒否という形で、地域対立が生じるようになった[7]。
全羅道と慶尚道の対立により、選挙においては忠清道がキャスティング・ボートを握ることが多い。しかし、現在では韓国の人口のおよそ半分が、「首都圏」といわれるソウル・仁川・京畿道に住むという極端な一極集中のおかげで、地域対立の影響は下がりつつある。
この対立は三金時代の名残といわれるものもあり、これも深刻なところがある[8]。
2002年の大統領選挙においては、慶尚道(嶺南)と全羅道(湖南)の地域対立が重要な克服命題とされた(立候補者であった盧武鉉はその一方の嶺南出身)[9]。また盧は地域対立の解消を名目に敢えて地盤でない地域から立候補したこともある[10]が、2002年大統領選挙を除いていずれの選挙でも破れている。
過去3回の大統領選挙における当選者と次点者、慶尚道と全羅道の得票率 大統領選挙 1997年大選 2002年大選 2007年大選 候補者 当選者 次点者 当選者 次点者 当選者 次点者 金大中 李会昌 盧武鉉 李会昌 李明博 鄭東泳 全国 40.3 38.7 48.91 46.59 48.67 26.14 慶尚道 釜山広域市 15.3 53.3 29.86 66.75 57.90 13.45 大邱広域市 15.4 72.7 18.68 77.75 69.37 6.00 蔚山広域市 15.3 51.4 35.27 52.88 53.97 13.64 慶尚南道 11.0 55.1 27.08 67.52 55.02 12.35 慶尚北道 13.7 61.9 21.65 73.47 72.58 6.79 全羅道 光州広域市 97.3 1.3 95.18 3.58 8.59 79.75 全羅南道 94.6 3.2 93.39 4.63 9.22 78.65 全羅北道 92.3 4.5 91.59 6.19 9.04 81.60