捕虜は、第一線からサンフェルナンドまで徒歩で行進し、
そこから汽車で、オードネルに送られた。
この徒歩行軍が「死の行進」と宣伝して騒がれ、
本間将軍抹殺のキャッチフレーズである。
このとき、護送に当った日本兵は背嚢を背負い、
銃をかついで歩いたが、捕虜は水筒一つの軽装であった。
全行程六十五キロあまり、
それを四、五日がかりで歩いたのであるから、
牛の歩くに似た行軍である。
夜は肌寒さを感ずることがあるので、
日本兵は彼らのために焚き火をし、
炊き出しをして食事を与え、
それから自らも食べるという苦労を重ねたのであった。
これを「死の行軍」と呼号することは、
軍人のいうべき言葉ではなく、
同じく行進をした護衛役の日本兵に対する侮辱であり、
戦場ないし作戦の実相を無視したものである。
渡辺三郎氏(陸士三十期)「つくられた"死の行軍"」より
(『昭和史研究所会報」第六十七号、平成十四年)

