善徳女王 新羅27代の王。 (?~647年)
本名は、 金徳曼
つまり、善徳は諡号で死後につけられた名前だ。
これと同時代に、日本には親新羅の大豪族の子供に同じ名前の人物が存在する。
その人物は、 蘇我善徳。
蘇我善徳と善徳女王。
全く同じ名前だ。
ここで注目するのは、蘇我善徳のほうが時代が古いことだ。
蘇我善徳は、当時の日本で一番の権力者 蘇我馬子の長男と言われている。
そして蘇我氏は、当時は日本は親百済派が主流だったが、蘇我氏は親新羅派だった。
だから、新羅の王族が、蘇我氏に「善徳」という人物が居たことは、確実に知っていた。
その日本最有力者の子の名前を、新羅女王の名前にしたのだ。
これは、新羅が日本に朝貢していたし、親日の身分を王の名前につけることで表現したものである。
しかし、実は蘇我善徳は記録が少なくて、よくわからない人物なのだ。
一説では、蘇我善徳は河上娘(かわかみのいらつめ)という蘇我馬子の娘と同一人物ではないか?
という説があるそうだ。
河上娘は、崇峻天皇に嫁いでいる。
そして、善徳女王は飲葛文王の配偶者だ。
ここで注目するべきは、善徳女王の母親の一族 葛文王だ。
そして、蘇我氏の先祖は、武内宿禰だ。
武内宿禰の子孫は、葛城氏だ。
葛城氏???? 葛文王 あまりにも似ている。
そして、武内宿禰は島根や福井など、日本海側沿岸で新羅と近い地域の伝説の人物である。
この辺りは非常に興味深い歴史であるww
面白いでしょうwww