七枝刀
『日本書紀』七枝刀の記述、4世紀に百済 から倭へと贈られたものと記される。
銘文は、まず彫られた場所からして「表は 東晋(中国)で鋳造された際に刻まれ、
裏は 百済で刻まれた」などの説があり、
内容は「百済王が倭王に贈った」との解釈 が定説とされている。
当時、高句麗の圧迫を受けていた百済は 倭との同盟を求めており、
百済から 倭へ贈られたことは確実視されている。
日本書紀等の史書では、百済が倭に対し 朝貢し人質を献上していたことが記述されている。
七枝刀
日本書紀神功皇后摂政52年条に、 百済と倭の同盟を記念して神功皇后へ
「七子鏡」一枚とともに「七枝刀」一振りが献上されたとの記述、
百済から倭へ贈与された年が372年。
神功皇后52年 秋九月丁卯朔丙子(9月10 日)条に、百済使久口らが、
「五十二年秋九月 丁卯朔丙子 久口等從千 熊長口詣之 則獻七枝刀一口 七子鏡一面及 種種重寶 仍口曰 臣國以西有水 源出自谷 那鐵山 其口七日行之不及 當飲是水 便取 是山鐵以永奉聖朝」
(52年秋九月10日 久口らが千熊長彦を従 えて七枝刀一口、七子鏡一面、および種々の重宝を奉った。
『自分の国の西に河があり、水源は谷那の 鉄山から出ています。その遠いことは七日 間行ってもつきません。
まさにこの河の水を飲みこの山の鉄を採 り、ひたすら聖朝に奉ります』と言った。 )