★「利口な韓国の子供、一人1万7215ドルです」 幼児輸出大国・韓国の実態
2009年05月18日 12時24分27秒 姉や兄は妹のリーンが嫌いだった。リーンの目は小く頭は黒かった。米国ミシガン州デトロイト近郊の小さな村でリーンは唯一の東洋人だった。三人の姉や兄らはリーンをつま弾きにし、養父母はリーンを虐待した。1966年12月、二歳のリーンが初めて養父母の胸に抱かれた時には事情は少し違った。養父母は自ら希望してリーンを養子にした。貧しい国から来た赤ん坊を可愛想に思う心があったはずだ。▲「私たちはここにいます。」1966年8月米国オレゴン州で開かれた韓国入養家族大会。1955~66年に入養された子供達がグループごとに記念撮影をしている。<ホールト児童福祉回50年史>
しかし義母はますますリーンに冷たく接した。後日、義母は自さつを試みる。気が弱い彼女はリーンに贈る愛情の余力がなかった。 若い父親はリーンに触った。13歳になるまでリーンに淫らな行為をした。幼い時は何のことか分からなかったが、年を取ってからは分かっても黙っていた。 また捨てられるかもしれなかったからだ。周辺には若い父親に似た白人たちだけだった。18歳で家を出た。10代で結婚したが、5年後に離婚した。彼女は不幸なのか?まだ断定はできない。
「孤独の連続だった」と回想するリーン・リース(Leanne Leith・44) の人生にも希望が一つ残っている。生みの親に会うことだ。 1年前から彼女はホールト・インターナショナルに自分の記録を要請した。アメリカのホールト・インターナショナルは「韓国から受けた資料がない」と言った。韓国のホールト児童福祉会は「アメリカに資料をすべて送った」と言った。今年2月、彼女は42年ぶりに韓国に帰って来た。結局、入養機関で受けたものは書類一枚と写真一枚だけだった。
▲‘#4708’がリーン・リースに生まれ変わった1966年の写真。リーンはこの写真が取られる前の2年間の生活を捜そうと韓国へ来た。
自分の未来が分からない二歳の子供が写真の中にいる。#4708という番号が書かれている。1966年3月、江原原州市市役所の前に捨てられた子供に付けられたシリアル番号だ。 この写真を通じて生みの親を探したが、韓国へ来て三カ月経っても進展はない。彼女の不幸はまだ終わっていない。リーンは毎年1千人以上外国に送られる韓国人海外養子の子供達の未来だ。 彼らすべてが不幸な人生というわけではないだろう。しかし、一生悲しみと曲折を担わなければならない。元々は大人たち過ちだった。はじめから最後まで国の過ちだ。
21世紀に入った2000~2007年だけで1万6970人の韓国の子供が海外入養家庭に送られた。朝鮮戦争以後発生した数多い‘戦争孤児’のために1961年初めて孤児入養特例法が作られた。 半世紀がたった今、もはや戦争孤児はいない。それでも海外養子は相変らずだ。去年、海外養子にされた韓国人の子供は合計1250人だ。 保健福祉家族部の資料を見れば、1958年以後2008年まで韓国から海外に養子に送られた子供は合計16万1558人だ。このなかで67%にあたる10万8222人がアメリカに送られた。その次はフランス(1万1165人)、スウェーデン(9297人)、デンマーク(8702人)の順だ。
米人口統計局の2000年資料を見れば、アメリカに養子に来た子供達のうち、韓国出身が24%で1位を占めた。中国が2位、ロシアが3位だった。2000年代に入ってアメリカに送られるのは韓国人養子の数は少し減った。「世界最大子供輸出国」の汚名は兔れた。しかし、去年も韓国はグアテマラ、中国、ロシア、エチオピアに続き5位を占めた。韓国は相変らずアメリカに子供を養子を送る主要国家だ。(中略)
しかし、韓国の海外養子は政府によって成り立っているのではない。代わりに「市場」にゆだねられている。ホールト・インターナショナルのホームページへ行けばアメリカ家庭が韓国の子供を養子にするために支払わなければならない数値が出ている。 1万7215ドルだ。「養子市場」で韓国の赤ちゃんは一番高い。利口だとうわさが立って外国の養子を希望する親たちに人気が高い。 ホームページにはブルガリア1万6千ドル、中国1万1360ドル、ネパール1万2千ドルと書かれている。これらの金額はある国家が児童の人権にどれほど鈍感なのかを現わす指標と見ても大きな問題はないだろう。(後略)
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 利口な’韓国の子供 2169万ウォンです
http://h21.hani.co.kr/arti/cover/cover_general/24958.html 売春婦の悲しみ<<<<親に捨てられ売買された子供の悲しみ
世界中で摘発される韓国人売春婦と韓国人売春組織