1995年 11月, キム・ヨンサム大統領が中国江沢民柱石に会った席で
「日本のボルザングモリを直しておく」と言い放ったことがある.
すぎ去った事整理と神もうで, 独島問題を巡った韓日葛藤あげく出たこの発言を日本はところで
解読することができなかった. ¥"ボルザングモリ¥"に相応される日本語がなかったからだ. 単語の意味が
「大人が子供の悪い癖を直すこと」という事実を把握した日本は怒りを隠さなかった.
葛藤は予想することができなかった破局につながった. 1997年アジア通貨危機とキア不渡り事態で
金融・外国為替市場が混乱を経験していた瞬間, 韓国は信じた斧から足元を唾をつけられた.
約 130億ドルに達する日本資金が借換発行(revolving)を拒否したのだ. 韓国が要求すれば
自動で満期を延ばしてくれた日本金融会社たちは危機が盛りの 12月にだけ 70億ドルを
集中的にペガッダ. 両国の間緊張の終りは外為危機, すなわち国際通貨基金(IMF) 事態だった.
当時韓国の次官補は 1997年 11月10日 訪日真書 Mr. Yenで広く知られた日本大蔵省
坂Kibaだと次官補に会った後 11日帰国した. 訪日 成果は何もなかった.
日銀が韓国銀行に対する SWAP など支援は可能ではないか, して協力可能性を
打診したがそれも同じくだめだと言ったという報告だった. すなわち資金難解消のための支援は
IMFを通じてするようにもうアメリカと日本が合議したから何もできない立場(入場)だと
した. 日本政府が日本市銀に対して満期延長影響力を行使するなどの協助要請に
大海は, 当時日本の経済事情が貧しいだけなく日本検察が金融機関と大蔵省の
癒着関係を捜査の中なので大蔵省の 位相が弱化されたはずで実現しにくいという
返事だったと言った. 結局フィリピンマニラで待機していたアメリカ財務部, IMF, FRBで
まるで植民地総督のようにキンポ国際空港で差しこんだし韓国は IMF 信託統治を受けるようになる.
韓日関係が好き, 韓美関係が円満だったら日本とアメリカは数百億ドルの支払い
保証で韓国が IMFに行かないように助けたはずだ. 当時キム・ヨンサム政府は日本だけではなく
アメリカのクリントン行政府とも仲が良くなかった. 失人心 状態だった.
任期末外為危機の時のアメリカの助けも受けることができなかった. 1997年末, IMF 救済金融社でも 当時
クリントン 大統領の最後通牒電話が 1週間前にかかって来た. 当時米議会では韓国が
あまりにも傲慢我がまますることで今度機会に手入れしなければならないという意見たちが広まるしたと言う.
それなのに韓国の一部(ではないかも) うっかり者たちはまったく同じな失策をくり返し変更している.
一体歴史を通じて何も学ばないといううっかり者のアドンハムであり走者学籍生真面目だ.