隼(はやぶさ)帰る 国内に機体残らず、70年ぶり
2013年8月13日 14時11分
入手した「隼」の尾翼部分を来場者に説明する原田さん=山梨県鳴沢村で(五十住和樹撮影)
旧日本陸軍の一式戦闘機「隼(はやぶさ)」の機体を、山梨県鳴沢村で「河口湖自動車博物館・飛行舘」を個人で運営する原田信雄さん(76)が英国 の博物館から購入した。隼の機体は日本にはなく、約70年ぶりの祖国への帰還という。自力で修復し展示する予定で、原田さんは「本物を残すことで、あの戦 争を未来へ語り継ぎたい」と言っている。 (五十住和樹)
原田さんによると、尾翼のマーキングからこの機体は、ニューギニアのブーツ東飛 行場に駐屯した第五九戦隊第三中隊機と分かったという。一九四五(昭和二十)年一月、オーストラリア空軍が捕獲し、八月の終戦で一般公開され、各地で展示 された。「敵機」だったため壊されるなどしたが、その後、オーストラリア戦争記念館が保管し、英国ダックスフォード帝国戦争博物館に置かれていた。原田さ んが購入し、今年七月に船で横浜港に着いた。
今回入手したのは主翼や尾翼、胴体やエンジンなど機体の主要部分。失われている部分はジュラルミンなどで修復し、機体の内部も含めて約五年で復元したいとしている。
原田さんは四五年五月、東京・五反田で空襲に遭って逃げ惑った経験がある。フランスの自動車部品日本総代理店を務めるかたわらで、八一年に世界の名車などを集めた自動車博物館を開設。二〇〇一年に、ゼロ戦や一式陸上攻撃機などの機体を復元展示した「飛行舘」も開いた。
「戦争体験者が減っていく中で、戦争の記憶を残すことで今の世代が勉強し戦争に再び向かわないことができる」と原田さん。機体を収集・復元する理由を「国 が運営する戦争博物館がないのは日本くらいで、何も残っていない。学ぶには『本物』が必要だ」と話している。世界の戦闘機に詳しい、雑誌「航空ファン」編 集長三井一郎さん(56)は「原田さんは収集家では著名で、機体の残骸を入手し復元に努めているのは日本人では彼くらいだ。復元展示は、優れた航空技術が 当時の日本にあったと明確に伝えられることに、大きな意味がある」としている。
原田さんは「飛行舘」に尾翼部分を展示している。博物館と飛行舘の開館は毎年八月の一カ月間のみ。問い合わせは同館=電0555(86)3511=へ。
<隼> 中島飛行機(群馬県太田市)などで、1941年から約5700機が製造された。原田さんが入手した2型は全長8.92メートル、全幅10.84メートル、全高3.27メートル。戦時中は映画や軍歌「加藤隼戦闘隊」が人気となった。
旧日本軍の戦闘機は終戦で破壊されたり、その後他国の軍隊で使われたりして日本国内にはほとんど残っていない。旧海軍のゼロ戦は東京・靖国神社の遊就館な どに10機だけ残っているという。隼は国内になく、原田さんによると、今回入手した機体以外では、米国とインドネシアの博物館に3機が残るのみという。
(東京新聞)