韓国人が日本人に教える
「韓国が「反日国家」である本当の理由」
崔碩栄(Che_SYoung:チェ・ソギョン)
2012年ロンドンオリンピックのサッカー銅メダル決定戦。韓国の勝利に終わったこの試合後、韓国の朴鍾佑選手が取った行動が物議を醸した。「竹島は我が領土」と書かれた紙を持ち上げてグラウンドを走り回ったのだ。
オリンピック委員会は彼の行動が政治的な行動を禁じている規則に反するという理由でメダル授与を保留し、調査に着手した。韓国内でも選手の軽率な行動に対して批判の声があった。しかし、私は彼の行動が愚かで、軽率だったと思う一方で、彼に同情する。なぜなら私には彼が「被害者」に思われるからだ。
韓国選手団では選手達を対象に「政治的な行動をしてはいけない」と何度も教育をしたというが、興奮した選手に理性は効かなかった。相手が日本だったからだ。日本には勝たなきゃいけないという強迫観念、そして日本に勝ったということで感じる痛快さがある。日韓戦への強迫観念はおそらく大統領自ら「(日本に)もし負けたら、玄界灘に身を投げろ」と厳命した李承晩時代(1948から1960)からの伝統であろう。そして、反日ムードに沸き上がったスタンドの空気に興奮した選手がトラブルを起こしたケースも初めてではない。2011AFCアジアカップにおける奇誠庸選手の猿真似パフォーマンス騒動は記憶に新しい。
しかし、これらは、韓国人の本性でもなく、スポーツ選手の本能でもない。それは、「日本」という「刺激」に対して反応するように学習された「条件反射」である。
その後、国際オリンピック協会(IOC)が朴鍾佑選手の行動に対し、懲戒の動きを見せると韓国サッカー協会(KFA)は事態をなんとか収めようと日本サッカー協会に「書簡」を送った。選手の行動が不適切なことを認めた上で、そこに計画性はなく、観客から紙を渡された起こした突発的行動だったと弁明し、日本側に寛大な対応を求めたのだ。KFAとしては、日本側をなだめることで、問題の拡大を避けようとした苦肉の策であったのだろう。しかし、韓国内では、「書簡」に謝罪表現がある点を問題視し、「屈辱的だ」と怒りの声が上がった。
この一件はついにKFA会長を国会に招喚し、国会議員が激しい罵声を浴びせるという事態にまで発展した。選手の国際試合出場禁止処分、オリンピック参加への制裁を受けることがあっても、日本に頭を下げてはいけないのだ(なおこのオリンピックサッカー問題の切っ掛けとなっているのは李明博大統領が竹島を電撃訪問した事件である)。
現在、日本と韓国の間には色々な問題が山積みである。例えば、竹島問題、慰安婦問題、強制動員賠償問題、歴史教科書問題、日本海-東海名称問題、旭日旗問題など、これらは定期的に両国のニュースを賑わす。これらの問題を訴えるのはたいていの場合、韓国側からで、日本を批判したり、抗議したりしながら「反日感情」を表す。
これらの問題について抗議する人達は、慰安婦と強制動員経験者に同情し、歴史を歪曲する日本に怒り、韓国を愛し、日本統治期を生きた先祖のことを重い抗議しているのだろうか。もちろん、そういう人達もいるだろう。しかし、「違う目的」を持っている人も少なくないのが事実である。そして、その「違う目的」は「過去」と関係がない場合が多い。
前記した問題を見直してみよう。現在、日韓が衝突する主な原因になっているこれらの問題は、終戦直後には存在しなかった。日本統治期の証人であった韓国人のほとんどが終戦直後には、強制動員、慰安婦、日本海問題などについて問題提起をしなかったのだ。しかし、それが「何者かによって」少しずつアップデートされてきた。
70年代には強制連行問題が新しく加わり、80年代には慰安婦問題、90年代には日本海-東海名称問題が現れた。そして、一度アップデートされた項目はそのまま日本の統治を経験していない現在の若い世代の間で怒りと鬱憤の「素材」として定着してしまった。これは不自然な展開ではないだろうか。
これらの「現象」は偶然、そして突然現れたものではない。人によって、団体によって、政治勢力によって、学者によって少しずつ加えられ、修正され今に至っている。つまり、色々な人によって「育てられて」きたのだ。彼らの目的、政治的な性向、年齢などは異なるが「手段」は一緒だった。それが「反日」である。
私は日本に約10年間滞在した。その間、日本の小説、音楽、書籍、映画など、韓国では滅多に接することが出来ない情報に触れてきた、それらの情報の中には、当時の私の常識に反する内容のものが少なくなかった。
私は混乱を起こした。長年持っていた「常識」が、一夜で「非常識」になるような内容すらあったからだ。当時、日本でそれらの情報に触れるまで私の持っていた常識は、韓国で普通に生活していた若者が持つ、ごく普通の常識だったはずだ。
韓国で育ち、教育を受け、生活をし、私の中の常識となっていた「知識」と、日本においてテレビや書籍などの情報が私のもたらした私にとって「非常識な知識」は相容れるようなものではなかった。
私はそこでより多くの資料と情報を自分の目で確かめることにした。その結果は驚くべきものだった。私が「当たり前」だと思っていたことの中に、数多くの間違いと矛盾が見つかったのだ。韓国の教科書、新聞、TV、政府の発表から次々と出てくる間違いと矛盾に当惑した。
だがそれは問題の始まりに過ぎなかった。私が韓国人の友達にその内容を話すと、彼らは神経質な反応を見せるか、そうでなくても私の話を信じようとはしてくれなかったのである。正確な根拠を示しながら話しても、返ってくるのは「親日派になった」という指摘だけだった。
日韓関係という敏感な話題の前で、根拠や論理は重要なものではなかった。それより重要なのは「我々」と「民族」だった。私は彼らの認識を変えることが不可能に近いことに気づいた。彼らにとって日本に対する認識は信仰と同じように絶対的で、簡単に変えられるものではないからだ。
韓国人は何故このような認識を持つようになったのか、という単純な好奇心から私の作業が始まった。資料を調べたり、韓国社会を客観的に観察したりする家に気づいたのは、韓国社会で産まれ、育った人は自然に「反日型人間」になるように仕組まれた社会構造、つまり、「反日システム」が形成されていることである。限られた情報だけを提供する人々、そして、それを利用する人々が構築、運営する「反日システム」の中では、日本は「悪い国」にほかならない。
もしかしたら、「反日システム」が教え込むように日本は実際「悪い国」かもしれない。しかし、そう判断するのは自分の目で日本を見て、自分で経験してからでも遅くないのではないだろうか。他人が、テレビが、先生が伝える情報には伝達者の「意図」が含まれている可能性が高いからだ。
私はそう考え、「反日システム」について、さまざまな角度から検証を進めていった。すると、その中から、なぜ、韓国人は日本に対してこれ程過剰に反応するのか、「反日」を国是として掲げているかのような言動を取るのか。その理由が見えてきた。それをまとめたのが本書である。
韓国の過激な反日感情を見て驚く日本人もいる。しかし、それらは自然に発生した感情ではないことを本書で説明したい。「反日型人間」として成長せざるを得ないシステムに作り上げられた「人工的な」感情が暴走しているのである。そして、そのシステムは、一つの団体、一個人によって作られたものではなく、長い間韓国社会の必要と同意によって完成、発展してきたものである。これを理解すればマスコミが伝える「飾られた韓国」ではなく、「素顔の韓国」が見えてくるだろう。
2012年9月1日
崔碩栄(Che SYoung:チェ・ソギョン)
[著者略歴]
1972年韓国ソウル生まれ。韓国の大学で日本学を専攻し、1999年渡日。関東地方の国立大学で教育学修士号を取得。ミュージカル劇団、IT会社などで日韓の橋渡しをする業務に従事する。
2009年韓国へ帰国し、著作活動を開始。
2010年韓国メディアの反日扇動を告発した『김치애국주의―한국언론의 이유없는 반일(キムチ愛国主義―韓国言論の理由なき反日)』を上梓。
同書が韓国文化観光部が選定する2011年社会科学部門優秀推薦図書に選ばれる。
現在、フリーライターとして活動、日本に関する紹介記事を中心に雑誌などに連載を持つ。