1951~63年のノーベル物理学賞と化学賞の選考で、物理学者の西島和彦氏ら日本人計6人(いずれも故人)が候補になっていたことが14日、分かった。朝永(ともなが)振一郎氏はこの間、51年を皮切りに計7回候補になりながら受賞を逃し、14年後の65年に物理学賞を受けた。両賞の選考主体であるスウェーデンの王立科学アカデミーの選考資料を、米オハイオ州立大のジェームス・バーソロミュウ名誉教授(日本史)が閲覧し確認した。
朝永氏の同級生で日本人で初めて49年にノーベル賞(物理学賞)を受賞した湯川秀樹氏が朝永氏の推薦人となっていたことも新たに分かった。
資料は非公開指定が解かれる50年経過後も一部の研究者にしか閲覧が認められておらず、51年以降の日本人候補者が明らかになるのは初めて。
物理学では米国や英国など欧米の幅広い研究者が日本人を推薦していたことも判明し、第二次大戦後の復興期にあった日本が研究水準を高めていたことを裏付けた。
量子電気力学で功績を挙げた朝永氏は51~52年、55~57年、60年、63年にそれぞれ候補になった。湯川氏が推薦人となったのは52年だった。
物理学賞では朝永氏、西島氏(東大・京大名誉教授)に加え、中野董夫(ただお)氏(大阪市立大名誉教授)の計3氏が候補となっていた。西島、中野の両氏は50年代に大阪市立大で共に研究していた際、現代の素粒子論の土台となる「中野・西島・ゲルマンの法則」を提唱したことで知られる。
また化学賞では、分子構造論の先駆者である水島三一郎氏(東大名誉教授)、和漢薬の薬効成分などの研究で知られた朝比奈泰彦氏(東大名誉教授)、油脂化学を専門とした外山修之(よしゆき)氏(名古屋大名誉教授)の3氏が候補になっていた。(共同)