階段ピラミッド状の墳丘を持ち、蘇我氏の首領・蘇我稲目(いなめ)の墓の可能性があることがわかっている明日香村の大規模方墳・都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半~7世紀初め)について、同村教委が平成26年に行った発掘調査の報告書(206ページ)を刊行した。過去の地震に伴う被害の亀裂が石室石材にもあることや、石棺に残る赤色顔料が鉄系赤色顔料とみられることなどが新たに報告され、墳丘(一辺約40メートル、高さ7メートル以上)の造営には推計で約3万人が従事したと考えられるという。
◆南海、東南海原因か
地震によるとみられる亀裂は古墳の石室計7カ所で確認された。多くは南東~北西方向の亀裂で、1カ所では石材が上下2つに割れ、上部が北西方向(墳丘がある斜面の下方向)にずれていた。
石室に使われている石材は飛鳥石とよばれる堅い火成岩。経年劣化しにくいことや亀裂の分布状況から、「急激かつ巨大な加重が短時間に石材群を揺するように加わった」とし、地震が原因の可能性が高いという。震度6弱以上の南海トラフで発生する南海地震、東南海地震によるとみられ、中でも江戸時代の「東海~南海地震」(1707年)や「安政東海地震」(1854年)が考えられるという。
都塚古墳では石材と同じ方向の亀裂が墳丘でも確認されている。また、巨大地震の亀裂は高松塚古墳でも見つかっている。
◆石棺に鉄系赤色顔料
都塚古墳の石室には二上山の凝灰岩を使った家形石棺(長さ約2・4メートル、幅約1・6メートル、高さ約1・7メートル)が残され、内部には赤色顔料の痕跡が確認されている。今回はその一部を採取、奈良文化財研究所の協力で主成分を確認する蛍光X線分析などを行った。
古代の赤色顔料としては、水銀朱や酸化鉄を主成分とする鉄系赤色顔料があるが、元素分析によって鉄を確認。ベンガラ(赤鉄鉱)とは断定できないが、鉄系赤色顔料が塗られていることがわかった。
現在ははっきりわからないが、大正時代に石室内に入った人たちは「石棺内部は赤く塗られていた」と証言しており、多くの古墳でみられる赤く塗られた石棺が置かれていたようだ。
◆1日100人以上を動員
表面を石で覆ったピラミッド状の古墳だったとされる都塚古墳。村教委は築造にかかった労働量の計算も行った。土による墳丘の築造には、人1人の1日の作業量を3・3立方メートルとして、延べ約1500人が工事にあたったと推測。
また、石室石材(約485トン)や墳丘石材(約64トン)の運搬には、1人が1日約20キロ運ぶとして、延べ約2万8千人が必要になるとし、石材の切り出しなどの人員を含めて、「築造には延べ約3万人が従事したと考えられる」としている。
墳丘の築造は5段階(9工程)で行われ、粘性度の高い土と砂質土を交互に盛る版築(はんちく)工法で強度を確保していることもわかった。
村教委では築造期間は不明としているが、少なくとも1日100人以上は動員したと推定。墳丘のルーツが高句麗の積み石塚と考えられることから、渡来系の人たちも築造にかかわったとみられている。
関西大学の米田文孝教授(考古学)は「調査を通じて飛鳥の後期古墳がこれまで想定されていた以上に多様性を持ち、東アジアの影響を受けた国づくりの中で、都塚古墳が築造されたことがわかった。(今後の研究の)基準資料になる」としている。
この人、高句麗人ですか?w