俺は以前から不思議に思っていたことがある。
日本人が過去、現在において行動した事象の全てが、韓国人には悪意で解釈されている点だ。
それはなぜだろう?
話はかわるが、フィクションの世界には”真に善なる存在”が登場することがある。
具体的に定義するならば、”生まれてから一度も他人の悪意に曝されたことのない存在”ということになる。
現実にそんな存在はありえないのだが、フィクションに登場する”真に善なる存在”は
深窓の令嬢だったり、教会などで、善人しかいない環境で育った人間だったりする。
”真に善なる存在”の特徴は、相手がどんな悪意ある存在でも、その行動を善意に解釈する点だ。
それは”真に善なる存在”の中には”悪意”というものが存在せず、”悪意”が理解できないために、
他人の行動をすべて”善意”で解釈することしかできないのだ。
ここで本スレッドの最初の疑問を思い出してほしい。
韓国人には日本人の善意が理解されず、全て悪意で解釈される状態はなぜか?
それは、韓国や韓国人の中に、善意が存在せず、悪意しか存在しないためと仮定すれば、すっきりと説明できると考える。
その解釈が正しいなら、韓国人とはどのような存在なのか?
”韓国人は生まれてから一度も他人の善意を見たことがなく、悪意しかない環境”で育った、”真に悪なる存在”であり、韓国には悪意のみ存在し、善意は存在しないということになる。