1904年 碁をうつ両班
高麗時代に両班が作られた時は身分階級ではなく官僚制度を指す言葉だった。
もともとは全体の3%に過ぎなかった両班。
時代が下るにつれ両班の数は増加し、李氏朝鮮末期には自称を含め朝鮮半島の人々の相当多数が戸籍上両班となっていた。
両班の特権
農民の仕事ぶりを寝そべりながら眺める両班
李氏朝鮮時代の両班は、科挙の内、文科・武科を受けて官僚になることができた。中人は雑科のみが受けられ、高位に登る事ができない。常民は科挙を受ける権利を基本的に持たない。この区分は時代が進む内に整備されていったと考えられている。また兵役の免除、刑の減免、地租以外の徴税・賦役の免除。社会的特権として、常民に道や宿の部屋を譲らせる権利やその他、家・衣服・墳墓・葬礼などに対して常民に比べ、さまざまな権利を有していた。
封建制の不在のため、地方の両班による中央からの自律的な支配や経済政策は見られなかったと言われている。そのため、下層民からの収奪に頼る度合いは大きかったと思われているが、朝鮮王朝末期には両班層が極端に増えていることから身分だけでその消費生活を類推することは難しいとの見解もある。




モンゴル風?



中華風?



日本風?
韓国の軍士官とその家族 ソウル(1904年)いつでも好きなときに庶民を捕らえて拷問や財産没収の権利を与えられていた両班
