この人物は本名を「金顕忠(ヒョンチュン)」といい、日本の陸士出身との説があったが、確かな証拠はなく、その出自は長く謎とされてきた。
一方、第二次大戦後に北朝鮮の首相や主席となった金日成は本名を金成柱(ソンジュ)といい、初代金日成と直接の関係はない。旧ソ連軍が都合のいい人物を指導者にするため、伝説の抗日運動指導者に仕立て上げたとされる。北朝鮮は、金顕忠の抗日活動も、金主席1人が行ったように歴史を書き換えてきた。
今回、東京都内の陸士関係者の子孫宅から見つかった「陸軍中央幼年学校本科第八期卒業生徒人名表(明治四十二年五月)」の末尾には、「韓国学生 金顕忠 二二、〇〇」と記されている。同じく「明治四十四年五月 陸軍士官学校第二十三期生徒卒業人名」には「騎兵」の最後に、「朝鮮学生 金顕忠」とあった。
当時の陸士の教育システムは約2年課程の中央幼年学校から陸士に進み、2年後に卒業して見習士官となり、数カ月後に少尉に任官するというもの。金顕忠は22歳ちょうどで中央幼年学校を卒業し、2年後に陸士の騎兵科を卒業したことが資料から読みとれる。
資料には、陸士23期の故大野宣明氏が昭和38年に「複写」したとあり、原本からの複写とみられ、信頼度が高いと考えられる。陸士23期の全生徒名が記載され、配属先も書かれているが、金顕忠については配属先が記されていない。
金顕忠は当時、大韓帝国となっていた朝鮮から日本の中央幼年学校に留学し、そのまま陸士に進んだ。だが、在学中の明治43(1910)年に韓国が日本に併合されたことから、卒業後しばらくして朝鮮に帰り、抗日運動に身を投じるようになったと推測される。
抗日運動では、「金光瑞(グァンソ)」あるいは「金●(=敬の下に手)天(ギョンチョン)」と名乗ったといわれる。金日成は馬にまたがって抗日運動を指導するイメージがもたれているが、金顕忠は騎兵の出身で、乗馬は得意だった。
その後、金顕忠がどうなったかは不明で、一部にはソ連で処刑されたとの説もあるが、研究家の間では、金主席を含め、数人の「キム・イルソン」と名乗る人物が抗日運動を引き継いだとみられている。(編集委員 大野敏明)
http://www.sankei.com/world/news/161030/wor1610300008-n1.html

発見された陸軍士官学校23期生徒の名簿。騎兵の最後尾に「朝鮮学生 金顕忠」の名がある
9:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/10/30(日) 06:35:59.78 ID:ofTf/ZLu.net
背乗り説は前からあったじゃん
16:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/10/30(日) 06:55:32.55 ID:MVTRYbZP.net
>>9
それの裏付けとなる信頼性の高い資料が見つかった、というニュースでしょ。
27:伊58 ◆AOfDTU.apk @\(^o^)/:2016/10/30(日) 08:10:16.45 ID:a5HGx9Le.net
偽物だらけだな、朝鮮は。
45:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/10/30(日) 11:46:09.16 ID:oZCKBIqN.net
>>27
今が良ければ真実なんてどうでも良い連中だからね(´・ω・`)
ソ連の工作員なのは有名な話
正日の本名はユーラ(ロシア名)だw
