亀船についての記述が初めて登場するのは15世紀の太宗実録(1413年)である。豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592~1598年)で実際に5隻が運用されたとされる。
日本側の記録には登場しない。
亀甲船は複数の史書にその存在が記されている軍艦であるが、現存する船体がない事、史書の記述があいまいな事から詳細は明らかではなく、実在が疑問視される艦である。
18世紀末(1795年)に描かれた亀甲船。15世紀にかかれた『行録』などの記述を元にしている。
16世紀末(1592~1598年)の豊臣秀吉の朝鮮侵略と戦った朝鮮水軍の李舜臣が考案した戦船。
漕ぎ手の上に屋根を被せ、刀剣を隙間無く並べて敵兵が上に乗れないようにし、
また漕ぎ手も外から見えないようにし、船首に龍首を設けてそこから火砲を発射できるようにした。
壬辰・丁酉の倭乱(日本の豊臣秀吉の侵略)の時に豊臣の水軍を大いに悩ましたという。
現実の亀甲船は、絵のようなものが存在したと仮定するならば、木造船の一種で手漕ぎの突撃艇であると推測することは可能である。
史書の「李忠武公全書」に装甲艦であると指摘できる記述が存在しない事からも装甲艦とは見なすことはできない。
帆があるともないともいわれるが、天蓋の上部に足場がほとんどないという記述から、いずれにしても戦闘中は帆の操作はできなかったと思われ、橈走に頼ったものと推測される。
渡洋能力については不明で、沿岸部でしか行動できなかったであろうという推測もある。
史書で亀甲船が登場する海戦はどれも浅瀬の多い場所であった。
また李舜臣が造らせたとする建造数がわずか5隻であったことからも、その用途が非常に限られていた可能性が指摘される。
同じ史書の内容では、明・朝鮮水軍は数十から数百隻を動員しており、保有艦船の中の亀甲船の比率は著しく低い。これは日本水軍を撃退したのが亀甲船のおかげではなかったことを示唆する。
龍の口から火炎放射???

亀船は1413年に記録が存在したのに。
180年後の1592年の頃、李舜臣が考案したという矛盾www