
朝鮮よりも日本のほうがコメの収穫量が多く、半島が飢饉のときは、日帝は朝鮮へ、日本本国で獲れた米を贈っていた。

併合時代の朝鮮。土地調査事業で実際に行われた測量作業の様子(朝鮮総督府)
併合準備で巨額の日本国内予算が半島事業で使われ、本国の日本国民は経済的負担を強いられた。


遊びではない本格的な農業を教えてもらった朝鮮人

大人のための夜間学校も開かれた

朝鮮で不作の年は、日本内地からコメを送ってもらった。
1935年(昭和10年)8月21日東亜日報
「日本内地払下米 朝鮮へ逆移入 政府米払下を要望」

1925年(大正14年)7月25日東亜日報
「仁川玄米上陸~朝鮮に在米が不足するという事を聞き、
門司商人が諏訪産の玄米2千石を朝鮮に送り、近日中に到着」