『 40年前の敵が友情の抱擁 』1987(昭和62)年2月9日の朝日新聞
マイケル・ジャコービー君。18歳。米カリフォルニア州ロサンゼルスから約50キロの公立アーケディア高校の三年生である。日本への関心はほとんどなかった。
(略)
エッセーを書くきっかけとなったのは、一昨年二月、太平洋戦争の激戦地硫黄島で行われた、旧日米両軍の生き残り兵や遺族による、合同慰霊祭に参加する祖父から誘われたことだった。
マイケル君の祖父アール・サラルソ¥ン氏(72)は、海兵隊准尉として1945年2月19日、米海兵第5師団の硫黄島上陸作戦に参加。日本軍守備隊と壮絶な攻防戦ののち、九死に一生を得て生還した。耳を裂くような砲撃戦の後遺症で、いまも難聴に悩まされているという。
祖父に連れられて行った硫黄島での光景は、マイケル君に強烈な印象を与えた。「自分の人生観が変わった」 という。
(略)
ロナルド・レーガン米大統領への手紙
大統領閣下
私の生涯に深い刻印を残した個人的体験を、大統領にも知っていただきたくペンを取りました。
私の祖父は、硫黄島の戦の悲惨さと恐怖をよく語り、私も海兵隊員だった祖父の写真を見、書物も読みました。それが1985年2月、にわかに現実のことと化しました。祖父がその戦場に私を連れて行ってくれたのです。
(略)
大統領。私はあの現場で、そのあと何が起こったかをぜひともあなたに見ていただきたかったと思います。両国兵士の未亡人や娘たちは互いに近寄って抱き合い、身につけているスカーフや宝石などに思いのたけを託して交換しはじめました。
男同士も近づき、最初はやや躊躇いがちに握手していましたが、やがてがっちり抱き合うと泣き出してしまったのです。かっての、この戦場での記念としていた品を「敵」に返している人もいました。
ふと気がつくと,誰かが私の頭の上に帽子をのせてくれました。かつての、日本軍人です。彼は笑顔を見せながら自己紹介し、彼が被っていたという日本軍の帽子を私にくれるというのです。祖父もそばに来て彼と話しはじめました。大人二人は若い私がこの場に居合わせて、この体験をしっかりと見聞したことを大変喜んでいるようでした。
・・・四十¥年前、二人はお互いに殺し合おうとしていたのです。いま私たちがいるこの場所は、四十¥年前に爆弾や銃弾、火炎手榴弾が飛び交い死と憎しみに満ちていたはずです。それがいま、わずか四十¥年でどうしてこれほど変化したのでしょうか。
祖父と日本兵の様子を見ながら、私は誰も知らない何かを知ることができたような気がしました。どんなに憎み合い相手を殺そうとして戦った敵同士でも友人となり仲間となることができるという事実を、この米国人と日本人の二人によって、全世界の人々に向かって知らせてもらいたいとさえ思いました。二人は手を携え、平和の使節として世界を廻り、その体験を人々に話しかけてもらうことができたらと思いをめぐらした次第です。
私は祖国を愛しており、祖国を守るために必要があれば戦うつもりでいます。しかし私自身の孫がいつか敵の孫と友情をもって抱き合える日があるのかもしれないと思うと、敵を殺していいものかどうか心乱れるでしょう。
(略)
私は硫黄島で感得したことを、できるだけ多くの人々に伝えるのが私の義務だと思っています。そこで、レーガン大統領、最初にお伝えする人として貴方以上に重要な人は、思いつきません。