金尚弼(日本名:結城尚弼)
1920平安南道生まれ(現在は北朝鮮)
1943年7月私立延禧専門学校卒業(京城)
9月大刀洗陸軍飛行学校隈之庄分校 特別操縦見習士官一期生として私立延禧専門学校初の合格者となる。操縦は同期でトップ、柔道三段、剣道は突きが得意だった。
休暇で朝鮮に帰った折、兄・金尚烈から逃亡するよう懸命な説得を受けたが、
「自分は朝鮮を代表¥している。逃げたりしたら、祖国が笑われる。多くの同胞が、一層の屈辱に耐えねばならなくなる」
(略)
「日本人が憎くない、というとそれは嘘になりますが、僕は少年飛行兵出身の部下(日本人)を連れてゆきますし、今日一緒に来てもらった佐藤曹長からは、親身の整備をしてもらいました。戦友や部下たちとは、一心同体であり、民族のしこりや壁はありません。
民族の魂は売り渡していません。朝鮮の魂で頑張ってきました。僕の考えはきっと御先祖様も許して下さると思うのです」。
それから一カ月余を経た四月三日、金は第五編隊長として小林勇第二編隊長と共に宮崎県の新田原基地より第5編隊長として沖縄西方洋上に出撃。
圧倒的な数の米軍戦闘機と、艦隊からの対空砲火網の中沖縄西方洋上の艦船軍に突入。24歳の若さでその生涯を閉じました。2階級特進で大尉。