朝鮮日報 : 2009/01/08 11:20:00
【コラム】国会での乱闘騒ぎを見て 日
「民主党、ファイト!」。記念撮影を終えた国会議員たちは議事堂を後にした。これまでとても苦労が多かったことだろう。
普段は壁に釘を打ち付けたこともないような方たちが、ハンマーを持ち出してきたのだから、いかに大変だったことだろうか。消化器を手にして消化剤をまき散らす行為や、登山用のザイルで「人間鎖」を作り上げる練習も非常に大変だったはずだ。何よりもチェーンソ¥ーでドアのカギを切断するのは非常に熟練を要する作業だ。
これらの工具を使用したことだけではない。肉体的にも大変そうだった。相手の胸ぐらをつかみ、振り回し、踏みつけ、引きずり回し、全身が床を転がる生々しい場面も何度か目にした。ニュースが放映されるわずかな時間にしか見られなかったのは、ある意味残念なことだった。格闘技専門チャンネルが高額の放映権料を支払う必要もない。「国会での乱闘騒ぎ」を最後まで中継していれば、実際の格闘技を見るよりもっと迫力があったのではないだろうか。
今回「国会での乱闘騒ぎ」が起こるまでは、誰もが国会議員をこれほど危険な職業とは考えなかっただろう。もちろん過去にも壇上の占拠や議事棒の強奪などといった不祥事はあった。しかしそれらが「愛嬌」だったとすれば、今回は本当の乱闘だった。今後この乱闘のレベルは徐々に高まるだろう。国会議員の先生方は、自分たちの仕事はこれほど危険だということをしっかりと悟り、歳費には危険手当を新たに設けるべきだろう。「国会議員なんて遊んでばかり」という一時の消極的なイメージをぬぐい去る絶好のチャンスだ。
年末年始をかけて、20日間にわたりまさに「身を投じた」その闘志には拍手を送りたい。しかし内心はすっきりしない。といっても、あの激しい光景を目にするたびに思い浮かんだのは、「あの年であんなことをすれば、後から筋肉痛が大変だろう」「あの人たちも家に帰れば妻子がいるはずだが」など、どうでもいいことばかりだった。自分たちが選んだ善良な国会議員の肉体を心配するのは、道理と言えば道理だが、あまりにも軽々しく国民に心配をかけさせるのも問題だ。
しかし今後は国会議員への出馬条件に、「堂々とした体格と強靱な腕力を兼ね備えている」ことを付け加えるのも良いアイディアではないだろうか。二段回し蹴りの格闘技能¥があるとか、鉄の棒を自由自在に操ることができる実力などがあれば、点数を上積みしてもいいだろう。これらの基本的な条件を満たせない人には、国会議事堂を安心して任せることはできない。次の選挙では有権者もこの点を忘れてはいけない。
腕力があるというだけでは単なる野蛮人と誤解される可能¥性もある。国会議員として尊敬を受けるには、「国の将来と民主主義のために」「生活に苦しむ庶民のために」「正義が大河の流れのように」といった言葉を恥じることなく口にしながら、日々過ごさなければならない。国民の視線がどうあれ、まさに血を吐くようにこのような表¥現を毎日毎日繰り返す必要があるのだ。
「国会での乱闘騒ぎ」について、一部の人たちは横目でいかがわしく見つめるかもしれない。しかしそのようなことを気にしていては、この国で国会議員など務まらない。これは当事者たちを見るとよく分かる。誰もがニコニコ笑いながら「大きな成果を上げた。勝利した」と互いを激励し、国会内のホールで記念撮影を行っている。20日ぶりに会議場を明け渡すのだから、どこか残念な思いもよぎるだろう。しかし今回のような「国会での乱闘騒ぎ」がまさか1回で終わることもないはずだ。
政界がこの世とはかけ離れた独自路線で突き進むなら、その行く末は果たしてどうなるのだろうか。この不況に見舞われた寒空の中、われわれは疲れ果てた心と体でその光景を今まさに目の当たりにしている。これ以上期待するつもりもない。ただ感嘆の思いが残るばかりだ。「どうすればあのようにわずかな呵責(かしゃく)もなく、心臓に毛が生えたように生きていくことができるのだろうか。あの人たちを誰が選んだのだろうか」と。
この日の議事堂では、議員たちがつい昨日までの出来事さえも忘れ、肩をいからせながら互いに得意な面持ちで握手を交わしていた。何か非常に大きな仕事でも成し遂げたかのように。だとすれば、われわれも彼らに駆け寄り、「本当にご苦労様でした」という挨拶の言葉でも掛けるべきなのだろうか。
チェ・ボシク社会部長