浮島丸事件
一般的に、戦前の法律である国家総動員法によって、多くの朝鮮の方々が連れてこられたとされています。事実、国家総動員法を根拠にした国民徴用令などによって、多くの朝鮮-人の方が日本工業の基盤となる各種業務をこなしてくれていました。しかし、この法律によって来日していただいた朝鮮-人の方々は、実は戦争が終わると故郷へと帰っているという事実が、意外にも現代では無視されています。
帝国政府は、日本の為に働いてもらった朝鮮-人の方々を放置する事なく、その責任を以て帰郷の事業を開始しました。その過程で発生した最も有名な事件が「浮島丸事件」と呼ばれるものです。
終戦直後の昭和20年8月24日、京都府舞鶴港で日本海軍の輸送艦「浮島丸」が米軍の設置した機雷に接触し撃沈され、乗員乗客ら500名以上が死亡した事件がありました。この輸送艦の乗客は朝鮮-人の方々です。というのも、日本政府は8月21日の次官級会議で、日本の為に協力してくれた朝鮮-人達の帰郷方針を決定し、22日には専門委員会を発足させていました。
浮島丸事件は、その過程で発生した痛ましい事件です。まだ戦闘終結直後であり、米軍の敷設した各種機雷が依然として海上を漂っていたため、それに触雷しての結果でした。そして、この事件から考察できる史実は「日本政府は朝鮮-人の方々を帰郷させていた」という事実です。
つまりこの事件によって、日本政府の要望で朝鮮半島から来ていただいた朝鮮-人の方々は、戦争が終わると全員帰郷できるように、旅費やその他全ての経費を政府が負担した上で、責任をもって送迎している点が理解できます。
※浮島丸事件
日本に強制連行された朝鮮-人らを帰国させるため、青森県の大湊港から釜山に向かった旧海軍の輸送船浮島丸(4730トン)が1945年8月24日、GHQの指示により京都府の舞鶴湾に入港した際、米軍の設置した機雷に接触し爆発し沈没。日本政府の発表¥によると、約4000人の乗船者のうち朝鮮-人524人と日本人船員25人が死亡した。日本では当初報道されず、45年9月に韓国の報道で明るみに出た。日本政府は、米国が敷設した機雷に接触したとしているが、韓国では日本側が朝鮮-人を虐殺するために爆破したと過去に教えられていた。(現在どう教えてるのかは不明)