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朝鮮人を飢餓と内乱から救った、大日本帝国
1900年のSeoul 南大門大通り
画像クリックで拡大 ↑日本統治前ソウル南大門通り
画像クリックで拡大 ↑1897年のSeoul 南大門大通り
城門の前は商人の店
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1888年のSeoul
朝鮮の真実(証言集)
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ビショップ夫人著「30年前の朝鮮」より
「市民は地上に瓦または藁を並べた平屋の下に潜り込んで生活している。
いや不潔な道路に蠢動していると形容した方が良いだろうか。
その道路は広くても二頭の馬が並べるほどではない。
狭いところで大きな荷物を担いだ人が通ると、それだけで往来を塞いでしまうほどである。
道路のはしには悪臭が辺り一面臭ってくる溝があり、
路面は埃まみれの半分裸の子供達と、猛悪な犬とによって占領されている。」
「下水道は、市内の汚水を昼夜絶え間なく城外へと排せつしている。
そのため、下水道の泥は真っ黒で、
遙かな昔からの汚水によって染められ悪臭を空気中に放散して旅人を悩ましている。」
「ソウルは汚いことと臭いことでは世界一である。」
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イザベラ・バード
「商店も概してみすぼらしいのは同じである。
在庫品全部買っても6ドル程度の店が沢山ある。・・・
何も特徴がないのが特徴である。・・・の他にある安価な灯油ランプ、手鏡、
安物臭い花瓶などといった外国製の不要品から一番くだらない物ばかり選んできたような品々は、
どれをとっても悪趣味の極みとしか言いようがない。」
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フランス人宣教師シャルル・ダレ「朝鮮事情」より抜粋
1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に一人当たり米一升で売るものもいた。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、
惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、
むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。
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統治時代の道知事 朴栄
公平無私なる観察を下すときは、いくら日本の朝鮮統治に反対しても善政は善政に相違なく、
如何に伊藤博文公を毛嫌いしても公の真意には感謝せざるを得ない、とはある評者の言であった。
究意するに韓国を亡ぼしたのは日本でもなければ之を責めるにも当たらぬ。
また当時の李完用始め自余の責任者でもなければ之を攻撃するの必要なし。
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朴泰赫
日本人地主は、韓国人の小作人の間で、きわめて評判が良かった。
日本人がやってきてから、改良された堆肥を奨励したし、
化学肥料が配給されるかたわら、改良品種や、進んだ農業技術を導入したので、収穫が増えたし、
農地開拓と河川整備を進めたので、村人の生活水準が大きく向上したからだ。
それに日本人地主は、昔の両班たちよりもはるかに寛容だった。
両班のように小作人(ソチクイン)である常人を理不尽に苛めるようなことがなかったし、
不作のときには、小作料を安くしてくれた。日本人地主のほうが、物わかりがよかった。
だから、日本人の地主は人気があった。
みんなは、韓国人の地主の小作人となるよりは、
日本人地主の小作人になりたがったのは、当然のことだった。
日本人のもとで働いていた常人たちは、羨望の自で見られていた。
日本人が所有していた農地は、独立後に、「敵産」(チョクサン)としてすべて没収された。
しかし、日本人が今日の韓国農業の発展の基礎をつくったことは、否定できない。
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金文輯
数千年にわたる過去の朝鮮j、ことに李朝五百年史だけをとりあげてみても、
完全独立の道などは一場の夢にすぎないことはわが朝鮮自身の常識である。
いわんや、最近50年の世界史相を展望するとき、
朝鮮が微弱なまま一度自立してみようというのは最初から問題にならないのである。
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基鎬(加耶大学客員教授)
十九世紀から二十世紀初めの帝国主義、列強諸国の時代、
暗愚の李朝両班階級は、その挑戦に直面、固唾を飲んだままで無為無策だった。
その失策は、あらためて糾弾すべきであって、
日本帝国主義の植民地へと転落したことについて、責任を他国のせいにすべきではない。
大いに反省すべきなのにもかかわらず、
今日にいたるまでいつまでも錯誤を放置、愚純の感情に委せているわけで、
今日のような歴史の初段は、当然再発すること、火を見るより明らかである。
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高麗大学教授 金鉉球・鄭大均 「日本のイメージ」より抜粋
わが国の中・高等学校教科書を見ると、
百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に伝えられた話が出てきますが、
その内容は日本古代史書である「日本書紀」を土台にしているもので、
わが国の史書にはありません。(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)
ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして、
古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという
「任那日本府説」を主張すると、韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。
これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのではありませんか、
という身の程を知らぬ質問をした。
そしたらL教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。
「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて
朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいったようになっている。
しかし、韓国の中・高等学校では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、
ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを助長する結果をもたらせた。
外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。
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細井肇 著「漢城の風雲と名士」
(『政治史』第77巻、豚犬的生活五より)
「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(人糞の比喩)が
場所も構わずにあちらこちらに咲き乱れいて、
足の踏み場もなく潔癖な人は一目その不潔さと臭気の酷さに驚くのである。・・・(中略)・・・
現に、この国(韓国)の中央都会である京城(ソウル)のような、
「韓国の帝都」と言われる都市でさえ至る所に人糞や牛馬糞を見ないことはなく、
辺りに漂う恐ろしいほどの臭気は人の鼻を襲い目を顰めない人はいない。
さらに京城市内(ソウル市内)を流れている川には、
そこに隣接する各家々から排せつされる糞尿が混じり、川の水は黄色に染まり、
ドロドロとなっているなど目も当てられない光景であるが、韓国人はその水を洗濯に使っている。
全く持ってとんでもない話である。毎年夏期になると京城(ソウル)では伝染病が流行し、
その伝染病にかかる患者の殆どが韓国人であり、大流行時には何千人もの患者を出すことも珍しくはない・・・」
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元京城控訴院判事 山口真昌氏の1908年6月の証言
(『朝鮮における司法制度の近代化の足跡』友邦協会編より)
「道路は非常に狭く、しかも糞尿は至るところ道ばたに落ちているという有様でした。
井戸水は混濁していて、風呂に入れば茶色の湯で、かえって身体が汚れるような感じで、
飲料水は石油の空き缶一杯で何銭(当時のお金の単位)で買ってきて使用すると言う状態で
(要するに飲料水は買わなければならなかったと言うこと)、電灯は今だ一般の家庭には普及しておらず、
私たちが当時借家としていた家にはその設備(電灯)が無いためランプを使用しておりましたが、
冬になると寒気が激しく、石油が凍って段々と光りが薄暗くなり、仕事が出来ないほどでありました。」
1910年 日韓併合
日本支配初期のソウル
画像クリックで拡大 ↑ソウル大通りの様子
画像クリックで拡大 ↑平壌 路上には電車が走る
女子高等普通学校
ソウルの朝鮮銀行前
画像クリックで拡大 京城駅
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南大門通り
↑1937年にソウルに開業した丁字屋デパート。
ソウルにはこの他に、三越・平田・和信(韓国系)などの百貨店があり
日本内地の流行を敏感に反映させながら競い合っていた。
↑1936年のソウル、南大門通り。
左側が商業銀行。市電は複線になっている。
看板の文字は真ん中がレートクレーム(化粧品の名前)、右側がキリンビール。
画像クリックで拡大 ↑ソウルの繁華街、
本町2丁目の商店街。
東京の銀座に相当する街筋は、
街灯が消える夜半まで人通りが絶えなかった。
画像クリックで拡大 ↑平壌の夕暮れ。
↑平壌府営業の市内電車。
運賃は市内一律で5銭。
画像クリックで拡大 ↑新興工業都市、興南。
1942年撮影。 朝鮮窒素肥料・日本マグネシウム
・朝鮮鉱業などの工場が次々に進出した。
画像クリックで拡大 ↑世界最大級の水力発電所、
水豊ダム。
当時出力世界二位のダムで、
朝鮮及び満州の電力をまかなった。
画像クリックで拡大 ↑水豊ダム。
発電用のドラフト・チューブの埋め込み。
画像クリックで拡大 ↑1940年、
ソウルにあった朝鮮ホテルのサンルーム。
朝鮮を代表するホテルで、左端の女性は舞踏家・崔承喜
【朝鮮総督府政策一覧】
併合時(1910)~終戦時(1945)
■ 教育の普及 ほぼ皆無 → 小学校5,213校建設、生徒数2,389,135人。
■ 京城帝国大学創設(1924)、旧ソウル師範学校(現ソウル大学)、梨花女子大など1000校以上建設
■ 朝鮮国民に教育を実施し、就学率を61%まで高めた(1944)
(ハングルを整備し体系化させ、漢字、日本語と共に普及させた)
■ 識字率 3-8% → 80%
■ 人口 1313万人 → 2,512万人(1944)
■ 平均寿命 24歳 → 56歳
■ 鉄道 3,827km敷設
■ 耕地面積 246万町歩 →449万町歩
■ 水田面積 84万町歩 →162万町歩(1928)
■ 石高(米の生産量)約1千万石 →2千万石(1930)
■ 反当たり収量 0.49石 →1.49(3倍)
■ 植林 禿山に30年間で5億9千万本を植林
■ ため池(韓国国内のため池の半分は、いまだ日本帝国謹製)
■ 朝鮮の不統一な度量衡を統一し、貨幣価値の安定と物資の流通に資した
(モノを受けるときは大きなマス、売るときは小さなマスを使っていたリャンバン特権剥奪)
■ 地籍の整備 耕地を耕作者の所有とみなし、朝鮮の大多数を占める農民の地位と生活を向上させた
■ カオスな朝鮮半島に、人身の自由、私有財産の保障、法のもとの平等を導入
■ 幼児キーセンと呪術的医療の禁止
■ 李氏朝鮮の残虐な拷問を廃止
(日本人相手に殺人を犯した金九でさえも一年半で刑期を終えるように罪刑法定主義を徹底)
■ 家畜階級にあった朝鮮女性に対して名前をつけるように要求し、家長の権限を制限
■ 洪中将、金ウンソン少将など、朝鮮人を分け隔てなく扱い、軍の高位に抜擢
■ 強盗件数
昭和2年 1771件
昭和7年 1261件
昭和12年 727件
昭和17年 394件
強盗件数:朝鮮総督府『統計年報』より
日韓併合後、日本は朝鮮半島を日本本土と同じと考え
日本国民の莫大な税金を注いで、朝鮮を近代化させた。
日本の敗戦後、韓国はアメリカによって独立し
結果的に日韓併合は日本に多大な経済的損失を被った。 現在も韓国に残る併合時の建築物⇒⇒
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(´・ω・`)<どこが被害者なんだよ。圧倒的に利益が大きいのが真実だろう。