“韓国は親, 日本は親捨てた親不孝子”
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日本がずいぶん前から韓国文化の産物を日本国籍の物で欺瞞して歴史を歪曲して来た事実を暴露した西洋学者がある. アメリカの東洋美術史学者ゾーンカーターコベル(1912‾96) 博士がその主人公.
コロンビア大で日本美術史研究で博士の学位を受けた彼は白人最初の日本学博士でもある. 彼は日本文化を研究している途中その根源である韓国文化に凝って深みのある研究活動をした. 1978‾86年には韓国にとどまって韓国美術, 韓国仏教, 韓日古代史, 陶磁器などに対する 1000余偏移過ぎるコラムを書いたし, ‘韓国が日本文化に及んだ影響; 日本の隠された歴史’ ‘朝鮮ホテル 70年史’ ‘根’ など 5冊の韓国文化関連著書を発行した. 彼の息子, エーロンコベル博士も付与族を研究して韓日関係に対する多い文を書いた.
次の文は 1982‾83年ゾーンとエーロンコベルが韓国と日本歴史的真実に対して書いたコラムを要約したことだ(#6と #7がエーロンコベルの文). たとえ 20余年私は被せられた文だが今日日本の歩みを正確に眺めただけなく日本の歴史歪曲に対する第3国学者の冷徹な視覚をうかがうことができる.
[#1] 歴史歪曲は 712年からつながった
日本人が書いた文には韓日関係を偽りで記録したのがとても多いのに, 韓国人たちは早いゴッイゴッどおり受け入れる. ヒトラーは “嘘が大きければ大きいほど人々はよく信じる. 嘘でもしきりに繰り返せば遠からず多い人が真実で受け入れる”と言った.
一番目歪曲は 1300余年私は被せられた初日本歴史書で起きた. 当時奈良(奈良)の倭(倭) 支配者たちは一応の学者たちに四書編纂を依頼した. 編纂目的は当代の日王たちが伝統性を持った支配者なのを立てるためのことだった.
日本史家たちは 369年伽揶付与族のどうして征伐であると言う 700年まで韓国が政治・文化的に日本を全面的に支配したという事実を完全に隠した. ヒトラーが言ったように, 嘘は大きいほど人々を欺きやすいのだ. そうして日本私邸たちは歴史を覆して伽揶から来た付与族がなぜを征腹したのではなくなぜが伽揶を征腹したと書いた.
‘日本から来て伽揶と新羅を征腹した’と知られた有名な神功(神功)王后は事実は船団を導いてなぜを侵略して征伐した強靭な意志の韓国王女だった. 369年の誤診王からゲイタイ王以前まで(または日本史に登場する 15代天皇から 25台まで)は全然日本人ではない, 純粋韓国人血統の倭王だった.
日本建国者で知られた招待日王神武は 4世紀付与人たちが日本を征伐した事実を反映するだけだ. 海衣女神である天助代わり(天照大臣)は巫子であり, 彼女のお兄さんスサノ−オノ−米してからも(素尊)は新羅人だ. しかし 8世紀史家たちはこの二人の人物に着物を着せた. 20世紀に来てこれらの正体が現われるまで, 史家たちは人々を欺く所期の目的を果たしたわけだ.
年を取った親を捨てる親不孝子話がある. 日本人たちは二つの世代の前韓国人たちに韓国文化は劣等なことだからであり日本語と日本名前, 日本式制度に従わなければならないと強権した. 韓国の幾多の書冊が火に燃えて消えて芸術活動も禁止された. 多い宝物が国外で積まれて行った. 石窟庵を解体して石一つ一つを日本でオムギリョゴまでしたが成功することができなかった. 日本は嘘と捏造を通じて韓国人に対する文化的ホロコーストを敢行した. しかし真実は日本が初期歴史から 8世紀に至るように韓国が浮かんでくれる食べ物を受け取って育った子供だったということだ.
本当に恩知らずした人々だ. 彼らはもう韓日強制合邦が ‘韓国のための選択’であったし, ‘韓国人たちが恨み仕事’と嘘をついて歴史を再構成しようと思う.
日本が起こした今の(1982年) 教科書波動は初段階に過ぎない. 次の段階は日本憲法の戦争禁止條項を削除して, 三番目段階へ行ってはチォンファングがを ‘神聖なグォンリョックチェ’でいかすと言うのが日本の下心だ. これが実現可能だか.
第2次世界大戦で敗れた以後集権与党になった自民党はその名前とはへだたるように保守性と商業性を追い求める政党で君臨した. もう自民党は象徴的な存在である日王を実在的な国家元首に育てたがる.
自民党内憲法調査委員会は現行憲法に対する多様な改正案を用意しておいている. 日本の歴史教科書が歪曲を躊躇しないで憲法で戦争禁止条項が削除されるというのは, 1920年代前後にそうだったように軍部勢力の得勢を言い表すのだ. その次の段階で現行日本憲法第4条を削除しようとする試みは情勢がどんな方向に動いているかどうかを決定的に言ってくれる. 現行日本憲法 4条は ‘天皇は国家的問題に決定権がない’と言うのだ.
‘神聖な 日王’の復活?
1920‾30年代に ‘神聖天皇’ 概念は日本軍部がさびた刀振り回すように立てた掛け声だった. 天皇を手の内に入れて操った軍部は ‘万歳日計のヒョンインシン(現人神) 天皇’の名前で各種軍私組織を強化した. 当時日本政府は今(1982年) そんなように, 教科書内容を歪曲した.
韓国と日本の建国神話の時代的背景は皆青銅器文化時代にあたる. だから神話内容が等しいしかない. 韓国の建国神話は日本よりもっと早くできた. 韓国人たちが石器時代日本で移住しながら優秀な武器と建国神話もしたがって移動した. これは世界どこでも共通された現象で, 先に進んだ文化と先に進んだ技術の武器を持った民族は常にそれよりできなかった民族を征腹した.
歴史歪曲も人間が歴史を記録し始めた以来で幾多の国で行われた事だ. そうだから筆者はより正直な美術史を好む. 中国史家たちが残した典型で見るように, 新しい王朝を開いた開国の功臣たちはいつも私は王朝を責めた. 共産主義国家は歴史を初めから思想の宣伝道具で活用したが, 昔のソ連や北朝鮮が本を正直に記述するのを期待するということは無理だ. それに比べて日本と西ドイツは民主国家を標榜する. 民主国家という日本が韓日強制合邦や南京大虐殺という明白な事実を否認したらドイツがヒトラーを英雄だと正当化することや違うのがない.
日本の王にどんな権力もなかった中世には歴史が比較的正確に記述された. しかし日本軍部がアジアを侵奪する膨脹政策に天皇が利用されながら, 日本の教科書は宣伝道具になってしまった. 最近自民党は日王を象徴的存在以上に作ろうと努力していてその実現は時間問題のような虫が知られる.
日本人たちはこれを ‘国内問題’だとするでしょう. どんな面ではそうだ. 不幸にも, 数百万名がそれが日本内問題ではない世界の問題’であることを分かってからも言えなくなった. 死んだからだ. 彼 ‘問題’はひとときアジア 8ヶ国に悽惨な結果をもたらしたしそのほか国家にも言えない影響を及ぼした ‘世界の問題’だった.
悪名ふるった日本警察
日本が相対的に貧困国家だった 1920年代にもミリタリズムのつけておくそれ程深刻なのだった. もう日本は世界第2の富国で経済的に繁栄する国家で成長した. したがってミリタリズムは百倍もう加工する事態を呼んで来るでしょう. ひととき韓国人たちは誰も日本警察を恐れた. ただたんに町内警察と言っても日本でさえ 1930年代の良識ある市民には莫強した軍部勢力の末端組織員で本当恐ろしい存在だった.
日本にとどまる時の事だ. 付くヨヘングギルに配意上甲板に上がっていた. あの時 “天皇の肖像画を載せて細いお腹の上甲板に上がったことは不敬罪にあたったら今すぐ下りなさい”と言って無理やりに降りなければならなかった. また言葉が暴れ狂うせいで危険に処した日王費に跳びこんで命を救ってくれたどの男は ‘神聖な’ 王妃の絹の服に手を出したという理由で手首が切られたという話を聞いた.
よく ‘歴史は繰り返される’と言う. 日本は本当 ‘神聖’の時代に帰る中か. ヒロヒト天皇が趣味である魚標本に凝る八旬の素敵な年寄りで残っているのを私は望む.
[#2] 日本人は率直になることができない
1980年私はユネスコ講堂で 3代の映写機でカラースライドをビツォがであり韓国・中国・日本の芸術形態を通じて極東の三つの国を比べる講演をした. 三つの国の特性を一言で要約する言葉を捜している途中英語の C字で始める単語を思い浮かんだ. 中国は統制(Control), 韓国は無情(Casual), 日本は作意的(Contrived)と. こんな備えは三国の陶磁器を比べて見ると明らかに現われる.
中国陶磁器はお御輿と上薬の使用を徹底的に管理した結果特に陶磁器で完壁の境地を成した. 韓国の陶工はいつも自然きわまりなくて無情で, これらが作り出した陶磁器には陶工の気質と火がどんなに作用したのかがそのまま反映される.
日本人たちは 15世紀イドダとは戦争で見るように, このような韓国的無情さを高く酔って過度に発展させたあげく, 彼らの陶磁器は自意識が盛られた作意的なことになった. 日本人たちはお御輿で焼いた花瓶の一耳をわざわざ曲げるとか覚めてしまうことで韓国陶磁器が持つような ‘無情’のミールを与えようと思う.
アメリカ人が見るのに韓国陶磁器のこんな無情さは率直さと通じる. 私が日本の京都よりソウルでもっと楽に過ごす理由は至極なほほ笑みに一貫する京都人々より相対的に率直なソウル人たちがもっと自然に感じられるからだ.
私は 10余年の間毎年夏と冬を京都大徳社(大徳寺)の有名な先査察真珠癌で送ったが, その頃私は方丈さんと生において ‘率直’が何やらする問題でよく争ったりした. 面前で言うことと背中の後ろで言うことが他の日本人の二重性に対して指摘すれば彼はそうしてこそすることで正当化したりした. それがちょうど ‘ホベン(方便)’, すなわち便宜というのだった.
日本では率直さが通用しないという話を何回聞いた. 自分の感情を外で表現する方法を学ぶ日本人たちはどんな状況でもそこに当たる顔をして見せることができる. 彼らが本気に感じる感情はの中で抑制されて代わり ‘作意的顔’で外部に知られるのだ. 日本人に人生はもうずいぶん前に意図されたとおり付いて行かなければならないことだから誰でも自分をそこ合わせて暮さなくてはならない予想にない仕業で混乱するようにしてはいけない.
真珠癌は日本歴史上たぶん唯一に 100% 率直だった人物を奉ずる漬けるから私はそんな概念を特別にもっと欺満的と思った. 表では独身を立てながら後ではあらゆる乱雑な事をすべてやらかす代わりに僧侶イッキュ(一休)は憚りなく女達と楽しんだしそれによって戒律で厳格に禁止されたものなどに対してよく分かった. このためにイッキュはホベン, あるいは ‘便宜上の嘘’を生の方便に政党の時する査察で奉ずる人物になった.
真珠癌からこういう問題でひとしきり論争が起ればお坊さんが通例言うことが “そう, あなたが賛成. イッキュは率直な人で私たちもそれでこそだがここは日本です. イッキュのように正直なのはアメリカでは大丈夫だが日本では当たらないです”.
私は日本にあるお寺が皆そんな式というのが分かったから ‘嘘が生きている’ 真珠癌で過ごした. 少なくともイッキュを追慕する査察であるこちらには美しい庭園があって壁には纎細な水墨画がかかっていた. それはここでの標準概念である ‘生きている嘘’からの逃避でもあった.
韓国的無情さと日本的作意性
相次いで 2年間韓国式率直さと日本式便宜(結果的に正当だと思って嘘つくこと)の差を経験する機会が来た. ハワイ大で 1975年夏には日本フリュ(風流) 研究旅行を, 1976年には韓国の風流研究旅行を支援したのだ. ‘フリュ’と ‘風流’ 皆漢字で ‘風流’と書く. 中国では唐の時 ‘風流’という言葉を格下げさせたが韓国と日本ではその意味がちょっと違ったりしても知識人層で脈がつながった.
美学的で心理的なこの単語の初字は ‘風’という意味で, 次の字は ‘流れる’と言う意味だ. 日本でフリュを研究する間中国詩人ワングウェイ(王維), タオウィアンミング(陶淵明)と ‘竹林七賢(竹林七賢)’の詩を読んだ. その市たちは世俗の富裕栄華を去って梅や月の美しさを捜す禅僧の倹朴した生活とよく似合うものと言った. しかしこれも俗物的な道楽だった.
もフリュ研究のために日本で一番纎細だという飲食店何箇所を紹介受けた. 皆フリュの自負心を威張る所だったが, 美しいソルバッの間でちょろちょろ流れる物価に座ってやや小いヒヴァするの(火鉢) 上に沸かし出した, 一口距離(通り)もならなく少ない三さじの魚料理を食べた. それは非常に美しくて目で楽しみぴったり良かったが虚飢をなぐさめるにはあまりにも少ない量だった. 彼らはそれは ‘すごいフリュ’と説明した.
翌年の 1976年夏に接した韓国の風流はより明確に見えた. 風流はエリートのための絶妙の食べ物の味ではなく詩人キムサッカーや芸者ファン・ジニがそんなことのように率直で縛られたのになしに事物を楽しむ態度を言うのだった. 風流には ‘人生は流れること, 遠からず死が来るはずだから私たちは生きて行かなくてはならない’ する実存的感じの動きが一杯だった.
書道でも韓国的無情さと日本的作意性は差がある. 私が持っている韓国と日本の有名な禅僧たちの筆文字どれもそういう差異を現わす. 韓国の書道は字が自然に流れて無情な境地を見せる. 日本書道では作意性が覗き見える.
このような作意性(Contrivance) またはホベン, 率直さがなくて自然なこともないこの気質は日本人の性格に染み出る. だから日本教育省が出て (教科書歪曲を置いて) 謝罪するからといって状況が変わると思えば計算違いだ. どのようにすると日本人たちが率直になるか. 1300余年に至る韓日関係歴史を歪曲している日本. どのようにすると彼らが歴史歪曲を直して率直になろうか.
教科書歪曲と戦争兆し
私は日本が絶対そうするわけない確信する. アメリカコラム非我大学のサイロスピーク教授はアトミックボムの無惨な経験がやっと日本憲法の戦争禁止条項を導き出しただけだと書いた. 以後新世代が成長したし国防費を出費しないことに負って日本の 1人当り所得水準はおびただしいのがなった. 今(1982年現在) 世界人は日本でミリタリズムパワーが徐徐にもたげることを実感することができるようになった.
もちろんこれが一般日本人たちの過ちではない. 彼らも一生を二重的顔で生きて行かなくても良かったら, 韓国である位率直に感情を表現しながら生きて行くことができたら喜ぶでしょう. ところが日本の社会規範は厳格きわまりなくてそこで数え出る方法がない. 自民党がずっと集権したら新ミリタリズムを持続的に強化することがそらぞらしい. それもますますもっと大胆に言葉だ.
誰も高等学校教科書使われた何与える文を置いて戦争が起こってほしくない. しかしこれはこれから戦争で走り上げることができる兆しを見せてくれるのだ. しかし本質的に率直ではない人々に何を期待することができるか. 歪曲された歴史教科書を学ぶ青少年たちはすぐ軍人年ごろになる. 露骨的に軍を美化する政策が持続したら日本政府は自分たちがやらかした侵略と戦争の跡をとり除くのに出るでしょう. 時間が経って真相が分かる人々が皆死亡してからはその次はどうなろうか.
[#3] ジョージセムスンに学んだ日本史
イギリス史学者たちは馬鹿ではない. イギリスで日本史の権威者に知られたジョージセムスン軽銀コラム非我大学在学時代師匠でもあった. 彼は私の博士の学位論文を審査した 9人の委員の一人で, 日本政府が与える勲章を受けた. 長年の期間日本から暮して来たジョージセムスンは著書 ‘1334年までの日本史’に ‘出雲フドキ(出雲 風土記)に伝わる日本古代史のおもしろい伝説’に対して書いた.
‘出雲フドキ’は 713年に出た本だ. 当時ゲンメイ(元明) 女王は各現にその地方の歴史と地理, 稀な事などを記録しておくように指示した. そうして 3箇所記録が今日まで伝えるのに, なかでも一つが新羅から来た韓国人たちが定着して暮した出雲(出雲)に関するのだ. 出雲は少なくとも 2‾4世紀当時には日本で一番発展した地域だったろう. 次はセムスンがフドキで引用した句節だ.
‘神さまがある日よく見たら韓半島南部に地がとても広かった. それで新羅地を少し引き離して海向こうでひいて来て出雲席に付けた.’
‘地クルオがギ’は科学的に不可能な事で氷河時代の指標移動は遥かな昔の仕事だ. セムスン軽銀 “これは残った地が移動したのではなく多くの人が移住したことを民間説話で表現したこと”と解釈した. これは侵入したのではなく移住して来たことで見なければならない. すなわち新羅人々が大規模出雲で移住して行ったことを志すのだ. 石器時代日本には人口がとても少なかったので, 多くの韓国人が今日アメリカ移民を去るように新しい可能性を捜して当時日本に行って定着したことはとても自然な現象だった.
天助代わりアマデラスのお兄さんで日本の歴史書に ‘猛烈な男性’に記録されたスサノ−オノ−は日本で移住した韓国人の中にもとてもエネルギッシュな男だったようだ. ‘彼は金海から海向こうで金と銀を送った’と言う. また新羅地域人たちの巫俗的リーダーでフィンマルに乗ったと伝わる.
ヒロヒト天皇も 1930年代挙動する時フィンマルに付いた. 1973〜74年天馬塚古墳で白華マルダレに巫俗的治者のフィンマルを描いた 5世紀頃新羅の天馬島が発掘された. 賢い日本人たちは韓国から入って来た巫俗思想にフィンマル, 勾玉, 王冠とその他などを連携させた. 1920‾30年軍国勢力が膨脹する時治者崇拜思想が蘇った.
私がセムスン頃から学んだ日本史には ‘日本の神聖な治者’と呼ばれた日王の中にも 15世紀にはとても貧しくてただ字を書いて売って食いつないだ人もいる. どんな王は葬礼支払うお金がなくて何月間も売場されることができなかった. 軍事力を掌握した権力者や将軍たちが王位をわがまま建ててさんだつした. 14世紀には次男が長男系列を押し出して王権を占めた. 嫡統長子の子孫は今(1982年現在) 大阪で貧しく暮しているし, 次男で王座に上がった人の子孫は今東京の王宮で過ごす.