【韓国の反応】米・英・日が韓半島の植民地密約をしているとき、高宗は巫女祭りをしていた…「きらびやかな交渉力を発揮した日本の外交術は学ばなければ」
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[隠れた歴史2cm]米・英・日が韓半島の植民地密約をしているとき、高宗は巫女祭りを行っていた
(ソウル=聯合ニュース)ファンデイル記者
韓国の外交力を心配する声が高い。
米国が韓国と日本に接する一連の態度から検出された温度差が大きいためである。
ドナルド・トランプ米国大統領は、執権後初の首脳会談相手として安倍晋三首相を選んだ。
マイク。ペンス米副大統領は最近、東海を日本海と呼んだ。
北朝鮮軍創建日を控えて、米国は日本などと対策を議論する際、韓国を抜いた。
大韓民国外交当局の戦略不在と無関心、無能が調和した結果だと思われる。
日本が20世紀初めに朝鮮半島を占領する直前の状況といろいろ似ている。
英国と米国が、日本の侵奪を黙認する交渉を行った際、大韓帝国はひとりぼっちだった。
高宗(1852〜1919)が1873年に父大院君を押し出して政治の前面に登場した時は、国際情勢を貫く慧眼を備えていたように見えた。
世界の列強に対して国の閂を閉めた大院君とは異なり、開放の歩みを見せた。
強大国を主権守護にも活用した。
清・露・米・英などの列強が互いに牽制すれば、勢力均衡を成しとげて、国土を守ることができるという判断からだ。
蛮夷を蛮夷で治めるという「以夷制夷」戦略は、初期はよかった。
米国を清の対抗馬としようとしたが、失敗してすぐにロシアを引き入れた。
英国と日本と清の3カ国がロシアと対立した状態を逆利用した妙手だった。
勢力均衡戦略はしばらくの間、大きな効果を受けたが、後に悪手となってしまう。
日本と清が朝鮮の支配権をめぐって1894年、韓半島のあちこちで戦闘を繰り広げた。
朝鮮と同盟国のはずのロシアは、対岸の火事のように沈黙していた。
戦争で勝った日本は、ロシアを引きこんだ明成皇后を殺害するという蛮行を犯す。
高宗は身辺に脅威を感じて宮殿を脱出し、ロシア公館に避難する。
当時ロシアは高宗のお願いを受け入れて、朝鮮をロシアの保護領にすることにする。
両国軍を創設する案も議論した。
ロシアを盾にして日本の侵略を防ごうという計算だ。
このような構想は失敗に終わる。
ロシアは中国遼東半島の港を確保した後、態度が急変した。
朝鮮保護領などには大きな関心を持たなかったのだ。
太平洋不凍港をすでに得たので、韓半島で戦争の危険を甘受する必要性が消えたからだ。
日本はロシアの気持ちを看破して、朝鮮占領を認める協定を急いで締結する。
韓半島は露日勢力のバランスが崩れ、日本の独壇場となる。
それでも安心はしていなかった日本は、英国と米国の手を握る緻密さも見せる。
1902年に英日同盟を結び、日本の韓半島専門権益を認められた。
当時世界最強国の英国を同盟国とした日本は、危険な賭けを行って成功している。
露日戦争(1904〜1905)を敢行して勝利したのだ。
ロシアを韓半島から完全に追い出した日本は、安全弁を追加として用意する。
1905年、日本の朝鮮半島支配を確保する第2次日英同盟を結んだのだ。
日本は反対給付として、英国のインド支配を承認する。
帝国主義列強が力を合わせて弱小国を分けて食べることを約束したのだ。

日本とアメリカが締結した桂タフト密約は、韓半島強奪のための画竜点睛だった。
両国がそれぞれ韓国とフィリピン支配を交差承認したものである。
高宗が引き込んだロシアは日本に押し出され、米国からは後頭部を殴られたという点で、「以夷制夷」戦略は失敗したのだ。
独自の能力を育てないまま外勢を粗雑に利用しようとすると破局を迎える。
高宗は1905年に国権侵奪の危機を認知する。
日本が乙巳条約を通じて大韓帝国の外交権と統治権を剥奪したためである。
高宗は一歩遅れて様々な外交努力をしたが、すべて無駄だった。
条約反対親書をアメリカ人のハルバート(1863〜1949)博士に送って外交戦を広げようとしたが、米国の大統領どころか国務長官にも会えなかった。
1907年にはオランダの首都ハーグ万国平和会議に特使を派遣する。
大国を相手に乙巳条約の不法性を暴露して主権回復を訴えるためだ。
外交権を剥奪されていたので、会議での発言権はもちろん、参加すら拒否された。

日本が大国と手を握って侵略野望を育てている時、高宗は迷信に陥っていた。
高宗が住んでいた徳寿宮と慶運宮に、占い師とシャーマンが頻繁に出入りしていた。
霊媒師に近ついたの明成皇后のせいである。
明成皇后がシャーマン神霊群を宮殿に連れて来て近くにいたせいで、巫俗を自然に信じていたのだ。
ソウルのドンソ門付近に中国の関羽将軍霊廟も建てる。
関羽の娘を自任していた神霊群への贈り物だった。
祠堂が完成した時、高宗は文武百官と皇太子を連れて行って一緒に参拝した。
神霊群は山の精気を漢陽に持ち込み国が太平になるとして超大型の巫女祭りも行う。
金剛山1万2千峰ごとに米1石とお金10両をささげ、そのせいで国庫が大きく傾いた。
神霊群は高宗夫婦を背負い、あらゆる不正腐敗にコミットした。
周辺には権威者を含めて数多くの人が集まった。

大企業からお金を剥がし、長・次官などの人事に介入したチェスンシルを連想させる。
明成皇后は風水にもこだわった。
28年間で実家の父の墓を何と4回も移動した。
高宗は明成皇后が死んでからも迷信から抜け出せなかった。
露日戦争当時、勝敗が日本に傾いたので巫女祭りを行って、ロシアの勝利を祈願する。
シャーマンの注文を受けて宮廷の柱の下に大きな釜を置いたりもした。
高宗に近い要人として活動したロシア公使のベベルは当時の状況をこう記録した。
「高宗とオムビはシャーマンを呼んで巫女祭りを繰り広げるなど、迷信を信奉した。列強の国際関係や日本の下心などは理解していなかった」
オムビは明成皇后殺害後、高宗の寵愛を受けて英親王イウンを生んだ後宮である。
大韓帝国は外交・軍事力を高める代わり、外部勢力を引き入れて、一貫して迷信で国庫を使い果たしたという点で、滅びる条件をすべて備えていたわけだ。
北朝鮮の核実験を契機にして韓半島の安保危機が高くなったというのに、外交力は旧韓末レベルという指摘が出ている。
北朝鮮の核の解決策について、周辺の強大国の意中を反映するだけで、肝心の韓国は疎外されているという「コリアパッシング」という用語まで出回るほどだ。
大国の利害関係に基づいて韓半島の運命が決定される危険性を避けるために、高宗の外交戦略を反面教師としなければならない。
ロシアとアメリカ、イギリス、清などを行き来して、きらびやかな交渉力を発揮した日本は憎いが、外交術は学ばなければならない。
「米国には永遠の友も敵もない」という米国の外交伝説ヘンリー・キッシンジャー元国務長官の発言は、まだ有効である。