最も旧サークルKだし。それを言い訳には出来るなw
後はエドウインにアディダス、サムソナイトにアディダス、コンバース辺りか。
それと切れる切れないでいい年こいて揉めてるシェケラベイベーの嫁と
当時のアイドルにち☓☓ん見せて出入り禁止になったくせに、ちゃっかり渋谷で冠番組持ってるミネラル麦茶(w
伊藤忠の元社長が『日本の税金を中国に流せ』と絶叫中の模様。世論の動きに不快感を表明
元伊藤忠商事社長、元中国大使の丹羽宇一郎氏が、太平洋戦争の体験者や軍事・安全保障の専門家に聴いて回り、教科書では学べない戦争の真実をまとめた『丹羽宇一郎?戦争の大問題』を上梓した。
「今回お会いした方たちの中で最も若い方が89歳。戦争体験者は年々いなくなる。戦争の真実を知るには、いまがラストチャンスである」と語る丹羽氏。自身も本当の戦争を知らないという丹羽氏に、この本の取材で体感した「戦争をしない国になるために知るべきこと」について語ってもらった。
レイテ島で突然降り出した大雨
今日、8月15日は72年前に当時の政府が玉音放送という形で日本国民に敗戦を発表した日である。日本は降服することで戦争を終わらせたのだ。だが、その決断はむしろ遅かったといえる。
前回も述べたことだが、日本は1944年のマリアナ沖海戦によって敗戦が決定的となった。将棋でいえば詰みである。しかし、当時の政府中枢は終戦を決断することなく、1年近くにわたって、なお戦争を継続し、民間人50万人を含む多大な犠牲者を出した。
戦地で命を落とされた英霊は靖国の杜に眠っているといわれる。私は『丹羽宇一郎?戦争の大問題』を出版するにあたって、本年の5月に初めて靖国神社を訪れた。
九段下から大鳥居をくぐり、靖国神社の長く広い参道を進んでいくと拝殿が見えてくる。正面の門から境内に入ると、有名な靖国の桜の木々が目に付く。そのまま進むと、もうひとつ鳥居があって、その先にあるのが拝殿だ。
正面門の脇には能楽堂があり、その先に軍事博物館「遊就館」がある。今回、この「遊就館」にも入ってみた。「遊就館」で最も印象深いのは出口手前にある展示室だ。ここにはおびただしい数の遺影が並んでいる。写真に写った姿を見ると、亡くなった人々、一人ひとりの人生とその家族のことを思わずにはいられない。
靖国神社が、英霊とその遺族の神社であることが痛いほどわかる。元日本遺族会会長の古賀誠氏は、「靖国神社を陛下にご親拝いただけるよう整えるのが自分の使命だ」と言っておられた。
古賀誠氏のお父上も、激戦の地フィリピンのレイテ島で戦死された。古賀氏はご自身が還暦を迎えられたときに、初めて慰霊のためにレイテ島を訪れたという。古賀氏がかつての戦場の跡にささやかな祭壇をつくり、慰霊の祈りを捧げていると、それまで快晴だった空から突然の雨が降り出した。大雨だったそうだ。
「涙雨だったのではないか」 古賀氏はそう口にされた。私もそう思った。当地に眠るお父上の再会の涙、そしてお父上と共に眠る数多くの戦友の涙だったのではないだろうか。当地に眠る人々にとって戦後はまだ終わっていないのである。
靖国に眠る英霊が望んでいることは何か
昭和天皇は1975年を最後に靖国神社を訪れなくなった。今上陛下も靖国に行かれていない。その理由にはA級戦犯の合祀があるといわれる。古賀氏の言う「陛下がご親拝できる環境を整える」とはA級戦犯の分祀である。古賀氏はこう言われた。
「マリアナ沖海戦以後に200万人の日本人が死んでいます。マリアナ沖海戦は1944年6月です。マリアナ沖海戦で戦争をやめていれば東京大空襲はなかったし、日本全国の主要都市を襲った大空襲もなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆投下もなかったのです。
日本はあのとき戦争をやめる決断をするべきだった。それをしなかったのは為政者の責任です」
「決断するべき決断をせずに、大変な犠牲者を出した為政者と一緒に祀られることを英霊がよろこぶはずがありません」
古賀氏が最後に口にした言葉は印象的だった。
靖国神社に眠る英霊の多くは一般の兵士である。一般兵士が死に臨んで思ったことは、国や天皇のことよりも残る家族や恋人たちのことだったと、今回の著書を執筆するにあたり何人もの戦場体験者のお話を聴いて、私は確信している。
英霊となった人々は、自分の死によって残る家族や恋人たちが幸せに暮らせるのであればと、あえて死地に飛び込んでいったのである。しかし、当時の為政者は英霊たちの思いに応えることなく戦争を長引かせ、英霊たちの家族や恋人たちである市井に暮らす人々にも多大な犠牲者を出した。
A級戦犯となった当時の最高指導者たちが、英霊たちにとって歓迎できる人々だとは私には思えない。
A級戦犯の合祀は、中国や韓国との軋轢の種にもなっていることは周知のとおりである。A級戦犯を分祀すれば、総理や閣僚が靖国神社を参拝しても、直ちにアジア各国が何も言わなくなるとは私は考えていない。
しかし事態は改善するだろうし、参拝を認めるよう説得することも不可能ではないと思う。英霊を祀(まつ)るのは国内問題である。だから外国はよけいな口出しをするなという排外論を声高に主張する前に、いま一度、われわれは英霊たちのことを真剣に考えてみるべきではないだろうか。
国民が反中嫌韓の感情論から離れ、真正面から靖国問題に取り組むことで、陛下が、皇居と指呼の間にある靖国を訪れることができる道は開かれると私は思っている。
中国に残した負の課題
私は中国大使のとき、中国東北部黒竜江省の方正県に日本人公墓があると聞き、慰霊の参拝をしたいと中国側に申し入れた。2012年11月のことである。担当するのはハルビンの黒竜江省外事弁公室だった。
日中関係は日本政府の「尖閣諸島の国有化」の影響で、中国国内の「愛国」運動が激しさを増していたころである。県当局も日中関係に過敏になっていたのだろう。
事実、前年には「日本開拓民亡者名録」という石碑を建立した方正県政府に対し、地元の愛国青年たちが騒ぎ出し、県政府は石碑を撤去するという事件があった。そのため、中国当局からの返答は、「行ってほしくない」というものだった。
日本の大使が、当地で亡くなった日本人を慰霊しないということがあろうか。私は、中国当局の意向に対し「その話は聞かなかったことにしよう。私は自分の意思で行く」とあえて外務省本省にも知らせず、秘書ひとりを連れてハルビンから車を走らせた。中国東北地方は、すでに厳冬の季節であった。
日本人公墓は、公園のような施設の中にある。中日友好園林と呼ばれ、周囲は木々に囲まれた場所だ。われわれが到着したときには、公園の入り口には鍵がかかっていた。前年に地元の「愛国青年」が石碑に赤ペンキをかけるという事件があって、自由な立ち入りができなくなったようだ。
そこへ県政府の役人がやって来た。彼らは、日本の大使が来る以上、何かあっては大変と待機していたのだ。
方正県の日本人公墓の隣には、麻山地区日本人公墓、中国養父母公墓、藤原長作記念碑がある。
私は3つの公墓に参拝して、この地で非業の最期を遂げられた、5000人を超える日本人の死を悼むとともに、民間人や女性たちとはいえ、侵略者の身内であった人々の墓を建て弔ってくれた中国、特に周恩来に強い敬意を覚えた。
厚生労働省は中国東北地方への慰霊巡拝を定期的に実施している。しかし、公墓の参拝はできるが献花や線香を手向けることは許されていない。今日、日本人が容易に慰霊に中国各地を訪問できる環境にはないのだ。
これを中国は心が狭い、嫌がらせだととらえるのは早計である。他人の家に入るときには辞を低くし、丁寧な口上で来訪の理由を述べ、失礼のないよう、室内を汚さないよう慎重に行動するのが基本的な振る舞いだ。それが当たり前だという顔をして、厚かましく他人の家に入っていく日本人はいない。
ましてかつて自分が荒らして迷惑をかけた家で探し物をするとなれば、その前にやるべきことがある。自分の非は棚に上げ、相手の狭量ばかりを責めるというのは子供のけんかに等しい。
中国や韓国は日本にいつまでも「お詫び」を要求する、何度も詫びたのだからもう十分じゃないかという意見は日本国内の一部の声ではない。しかし、日本が中国に対して十分やるべきことをやったかというと必ずしもそうとはいえない。
中国吉林省敦化市ハルバ嶺には、いまも旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器が推定で約20万~30万発埋まっている。「化学兵器禁止条約」上、このおびただしい数の毒ガス兵器を回収・処理する責任は日本政府にある。中国各地から出土した毒ガス兵器はこれまで5万6000発だ。
すべてを処理するのは、気の遠くなるような時間を要するだろう。毒ガス兵器は中国に遺してきた日本の負の遺産である。
先の大戦からすでに72年が過ぎる。しかし、遅すぎる対応でもしないよりはよい。慰霊や遺骨の収容は、いまだに残る優に20万発を超える毒ガス兵器の回収・処理を進め、ある程度のメドがついた段階で一歩前進すると私は思っている。ここでもまだ戦後は終わっていない。
日本人は敗者の歴史を学ぶ勇気を持て
歴史とは勝者の物語である。過去から現在までに起きた事実に、勝者にとっての意味を持たせるのが歴史なのだ。
中国の現代史は、中国共産党の勝利の物語である。共産党が、いかに正しかったかを書いているのが中国の現代史だ。中国の現代史では中国は被害者であり、勝者である。逆に日本軍は侵略者であり、加害者であり、敗者だ。韓国の現代史もおそらく同様だろう。
中国や韓国の現代史はわれわれ日本人からすれば、すべてが納得できるというものではない。
だが、歴史とは勝者を正当化するものである以上、彼らの現代史が過去の日本を徹底的に否定するのは、彼らの歴史を正当化するうえで欠かすことはできないことなのだろう。われわれにとっては賛同できない歴史であっても、彼らには語るべき現代史がある。
一方、敗者である日本には語るべき現代史がない。戦争中、陸軍本土防衛特別攻撃隊の一員だったライフコーポレーションの清水信次会長は「いまの日本で大事なのは若者にきちんと現代史を教えることだ」と言っていた。
清水会長は「しかし、最近は戦争を知らない人が圧倒的な多数になった。戦争を知らないまま戦争を賛美したり、戦争をしてもいいみたいな威勢のいいことを言う人も見かける」と現代史を学ぼうとしない人々を危惧している。
私は、日本人はあえて「敗者」の歴史を、勇気を持って学ぶべきと思う。普通の国は「勝者」の歴史を学ぶが、日本が目指すべきは敗者の物語も真摯に検証していく「特別な歴史」の学びである。
検証すべきことは何か。それは、戦争は国民を犠牲にする。戦争で益する人はいない。結局、人も物もすべてを害する。特に弱い立場の人ほど犠牲になる。日本は二度と戦争をしてはいけないということである。これらは敗者の歴史からしか学べない重要なことだ。
戦争を知っている世代が元気で、政治の中枢にいた時代は現代史を知らなくてもまだよかった。しかし、戦争を知っている人がいなくなっていく現在、日本人は文献や記録からだけでも戦争を学び知らなくてはいけない。
日本は無責任文化から決別し、現代史を学ぶべきである。それが敗者の歴史に重要な区切りをつける最後の年になりつつある今年の8月15日に、私が強く言いたいことだ。
丹羽 宇一郎(にわ ういちろう)
元伊藤忠商事社長・元中国大使
現在、公益社団法人日本中国友好協会会長、早稲田大学特命教授、福井県立大学客員教授、伊藤忠商事名誉理事。