絶つんだジョーン!
土曜日ですし、軽い(軽くもないですが)テーマを一つ。
本ブログは今まで、韓国人の「情(ジョン)」というのは、一般的な規則(例えば法律)より上位の概念であると書いてきました。それはゴリ押しであり、貸し借りのものである、と。恨(ハン)はナム(他人)に向けるもの、情(ジョン)はウリ(私たち)に向けるもの、なのです。
簡単に言えば、「私たちは友だちだよね!いままで私はあなたを友だちだと思って友情を持って接したよね。だからお金を貸してくれ。例えあなたが銀行から借金して私に貸すことがあっても貸してくれないといけない。私がいままであなたに注いだ友情にそれぐらいの価値はある」というパターンになりがちです。
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あえて極端な話をチョイスしてみますと・・
カラオケの部屋の中で、子供が用(小)を足しました。記事によると父がそうさせたとか。カラオケの主が抗議しましたが、父が逆ギレ、壮絶なファイトになって警察沙汰・・という記事です。店主が一方的に殴られたようです。「新都心おしっこ事件」という名で、ネットで結構話題だとかなんとか・・
http://v.media.daum.net/v/20180707133338125?rcmd=rn
記事で、父はこう言いました。「(店主とは)同じアパートに住んでいて顔見知りだった。これ(子供が用を足した)位のことは許してくれると思ったのに、店主は抗議した。だから怒った」。さすがにこれは韓国からしても変わった事例ですが、基本は同じです。「ウリだから、一般的な規則から目をそらしてくれるべきだ」。韓国社会の様々な分野で、様々な問題を起こしている考え方です。
この情の概念は、民族単位まで拡張されたりします。例えば、戦争を起こした相手でもそれぐらいいいよね?な展開になります。