謝罪と許し
韓国日報が、「人を許す条件」について記事を書きました。
記事は「上の立場の人の横暴は韓国の伝統だ」という某小説家の言葉(皮肉)を引用しながら、韓国社会では「謝罪するのも、謝罪を受けるのも、許すのも、許されるのも、韓国では本当に見つけるのが難しい」とします。
そして、最後にその謝罪や許しの条件として、こう書いています。
<・・被害者が許す用意ができるまで、続ける謝罪することがその条件だ。光州民主化運動とセウォル号惨事、Metooの犠牲者、加害者には「許しの条件」を適用しましょう。そして被害者が許す準備が整うまで、応援しよう。ホロコースト生存者にドイツがそうしたように。日本軍慰安婦及び強制労働被害生存者たちに日本がそうしないといけないのと同じように>。
http://v.media.daum.net/v/20180705180334199
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日本がどうとかいうのは一方的な勘違いだから完全に論外とします(日本はもう謝罪したし、そもそも悪いこともしてない)。
この記事、最初の部分は合ってます。韓国社会では、謝罪する・謝罪を受ける、許す・許されることを見つけるのは非常に難しいです。
記者さんはその条件を提示できたと喜んでいるようですが、実は違います。謝罪しても「まだ許す用意ができていない」と、何度も謝罪を要求されてしまうこと。それもまた、韓国社会で謝罪と許しを無くした犯人の一人だからです。韓国では、謝罪した人は「下」になります。だから、下にされたくないから自分で謝罪することはありません。逆に、他人を下に置きたいから相手を許しません。これもまた、韓国の伝統です。