慰安婦被害者「日本軍は妊娠すると子宮を切り裂いて胎児を取り出した」日本軍が慰安婦に犯した残酷な蛮行をご覧ください 韓国の反応
2018年07月07日
韓国の反応
日本軍慰安婦被害者キムボクドゥクおばあさんが享年101歳で死去した。
現在、日本は日本軍性奴隷の被害者に対する謝罪と反省なんかは垣間見ることができない横着な態度で慰安婦問題を無視している。
関連投稿:・元慰安婦「14歳の頃強制連行され、逃げ出すと拷問され全身に刺青を彫られた。ハリセンボンの板の上を転がされ、首を切られた」 韓国の反応・慰安婦被害者が衝撃証言!「日本人がタバコに火をつけ私の子宮に入れた!」 韓国の反応

日本が反省していない状況で、被害を受けたおばあさんたちは依然としてその時受けた傷を胸に抱いている。
代替日本軍は今ちょうど13歳、14歳、15歳のとても美しい少女たちに何の蛮行を犯したのだろうか。
日本軍の蛮行を一つ一つ知らせた慰安婦被害者六人の証言を紹介する。
これは韓国挺身隊問題対策協議会の資料と伊藤隆の著書「記憶します」を土台に集めた。
1.キム・デイルさん(1916~2005)
キム・デイルおばあさんは1916年10月、黄海北道沙里院市で生まれ、東京第12師団「従軍慰安婦」として連行された。
中国長春に連行されたキムさんは12番という数字と、日本の名前「石川たま子」を受けた。
その時からキムさんは12年間、日本軍慰安婦で苦労しなければならなかった。
未明6時から翌日の明け方2時まで寝ずに30~40人の日本軍を相手しなければならず、毎日未明は、明け方、天皇を褒め称える「宮城遥拝」を強要された。
食事は麦飯の塊と漬けた大根一切れだけだった。
ある日、金さんが50人を相手にして倒れると、日本軍は祖母に麻酔薬を飲ませてたタバコにガソリンをつけて子宮、口、鼻などに刺して根性焼きをした。
2.黄金株さん(1922~2013)
黄金株おばあさんは1922年忠清南道扶余で生まれた。 当時、黄さんは父親の薬代を稼ぐために金持ちの養女に入ることになった。
二十歳になった黄さんは主人家の娘に代わって中国吉林にある慰安婦に連れて行かれた。
「慰安所では、軍人達に、ご飯や洗濯をする仕事」だと思った黄さんは、先に来ていた女性に、「君たちは死んだら哀れだ。 無条件に彼らの言われるとおりにしろ。 それを拒否すれば死ぬ」と言われた。
翌日おばあさんはその言葉の意味が分かるようになった。一日にも数回ずつ将校たちに連れていかれ、強姦を受けたおばあさん。
1日、30~40人ずつ相手にしなければならない時もあった。将校たちは避妊道具であるコンドームも使っておらず、妊娠した女性たちは黄色い606号注射を受けて下血した。
下血した女性らは、医師から子宮の中を掻き出す屈辱を経験した。 このような状況が数回繰り返されると、子宮が全て破壊されこれ以上妊娠ができなかった。
3.チョン・オクスンさん(1920~)
1920年に咸鏡南道プンサングンで生まれた日本軍"慰安婦"被害者チョンオクスンおばあさんは現在、北朝鮮に居住している。
チョンさんは、14歳の時に日本軍慰安所に連れていかれた。 一日に40人を超える日本軍を相手にしなければならなかったおばあさん。
言う事を聞かないとし、体罰を受けるのも頻繁だった。 日本軍は、遺体を水で煮て、残っている慰安婦少女たちに強制的に食べさせたりもした。
結局、耐えられなくなったチョンさんは1。937年友人らと逃走を試み、その二日後に逮捕されてしまう。
同日、日本軍は針に墨をつけて胸から、腹の下まで刺青をした。
今もお婆さんの体にはその時の日本軍が行った跡が鮮明に残っていた。
4.キム・ハクスンさん(1924~1997)
1921年吉林生まれであるキムハクスンおばあさんは1941年養父からお金稼ぐことができるという言葉に中国へ向かった。
しかし、キムさんが到着したのは、慰安所。 そこでキムさんは少しでも反抗をしたら死ぬ様な暴行を受ける。
生理をする日でも軍人を相手にしなければならない、血が外に漏れないように軍医に受けた綿を深く入れて軍人を相手した。
お金稼ぐことができるという言葉は真っ赤な嘘だった。 キムさんは、慰安婦生活が終わるまで、たった一度もお金をもらったことがないとした。
キムさんは幸運にも朝鮮人男性の助けを受けて慰安所を脱出できた。
時間が流れて1991年8月14日、金さんは、全世界で初めて自分の慰安婦被害事実を公開した。 隠してきた日本軍の蛮行がいよいよ明らかになった日だった。
キムさんの勇気を称え、今後の日本軍性奴隷問題解決に向け、第11回日本軍問題解決に向けたアジア連帯会議は毎年8月14日を世界慰安婦の日に指定した。
5.キム・ヨンスクさん(1927~2010)
1939年13歳の時に中国瀋陽にある慰安所に連行されたキム・ヨンスクおばあさんは、そこで5年間も慰安婦生活をした。
キムさんはこれまで、25人のうち20人が死んでいくことを目の前で見なければならなかった。 逃げると、決まった瞬間、かえって死ぬのがましだと言うほどひどい拷問を受けた。
日本軍は、つるし上げて殴り、金串で刺されたりした。
日本軍はキムさんに「日本人ら偉大なのかわからなくなれば、お前の肝臓を取り出して食べる」と、刀を突きつけた。
恐怖にとらわれたおばあさんが逃げると、ナイフで皮膚を破り、足で踏んで足を折った。
おばあさんの体には依然として日本軍が残した残酷な拷問の痕跡がそのまま残っている。
6.リ・ギョンセンさん(1917~2004)
リギョンセンおばあさんは12歳に慶尚南道昌原にある軍需工場に連れて行かれた。
16歳のリさんは、日本軍のために妊娠することになった。 すると、日本軍は、リさんの腹をきりさいて胎児を取り出して摘出する蛮行を犯した。
以降1992年リさんは公開証言で「12歳という幼い年頃は、母親の胸に抱かれて子羊の役目をしている子供なのに、日本軍に性奴隷生活をさせられるとはどう言う事か知って居るか」と話した。
