「不機嫌な隣国」韓国に向き合うためにいまわれわれが考えるべきこと
「日本にとって、韓国は『異質な文明世界』であるけれども、韓国にとっても、日本は『異質な文明世界』である」。この当然の前提を踏まえることでしか、日韓関係の展望は開けまい。
たとえばイスラム世界という「異質な文明世界」の人々を宴席に招き、彼らが「豚肉を食せない」という事実を突き付けられたところで、それに怒り出す日本の人々は滅多にいない。
同じ理屈の下、韓国は「異質な文明世界」であると初めから割り切って接していれば、その振る舞いは、考究の対象となりこそすれ、感情的な反発の対象にはならない。
現下の日本における対韓感情の悪化は、明治の世に朝鮮半島の「開化」に期待しながら、それが裏切られた後で一転して「脱亜論」を書いた福澤諭吉の姿を再現しているところがある。
福澤が後世に遺す教訓とは、「朝鮮半島に関わらない」という半ば俗耳に入りやすい主張ではなく、朝鮮半島という「異質な文明世界」に「勝手に期待して勝手に落胆する」弊を避ける姿勢の意義である。朝鮮半島は「異質な文明世界」であればこそ、それを深く知る努力は、続けられなければならないのである。
もっとも、筆者は、いかなる意味でも朝鮮半島専門家ではないし、対韓関係それ自体には何ら特別な思い入れを抱いてはいない。
筆者が対韓関係に関心を寄せ、観察と論評を手掛けてきたのは、それが日本を取り巻く国際環境に影響を与える要因の最たるものであるからに他ならない。
第2次世界大戦後、70余年の日本の平和と繁栄を担保した条件には、巷間、語られてきたような日米安保体制や憲法第9条だけではなく、沖縄の負担や米韓同盟の枠組も含まれる。
この観点からすれば、日本の対外政策上、注視すべきは、日韓関係それ自体よりも、米韓関係の行方である。
仮に米韓同盟の枠組が消滅し、韓国の「西方世界」同盟網からの放逐が現実の光景となった暁に、日本の対応は、どのようなものになるのか。「西方世界」同盟網の枠組の中での疑似同盟国ではなく、単なる「不機嫌な隣国」に転じた韓国に対して、日本は、どのように向き合うことになるのか。
そうした事態を見越した議論こそが、今や本格的に始められるべきものである。
一部抜粋
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59448