私の友人に在日朝_鮮_人がいて、ときどき散歩を共にする。疲れると、そのあたりの喫茶店に入ってコーヒーをのむ。この友人は光復(一九四五年)のとき二十八、九歳だったから、大いに政治に熱中し、中年になって熱が冷めた。あるとき、話題がかれの母国の国語のことになった。
「キタ(平壌)は、日本語を一掃しましたよ。いっさい使っていない」
「日本語って、どんな日本語です」
「日本製の漢語」
というので、私は首をかしげた。朝_鮮民主義人民共和国と云う国号そのものが「朝_鮮」をのぞいて全部日本人が明治維新後につくった西洋語の対訳語なのである。民主主義も人民も共和国もそうである。
韓国にもそういう傾向があるらしい。republic の対訳を辛亥革命のとき中国は「民国」と訳したが、韓国は日本約の共和国よりそのほうを採った。わたしがもし日本人ではなく宇宙人なら、
「どちらでもいいことじゃなか」
といったろう。が、日本人だから、いくら友人に対してもそうは言えなかった。が、べつのことをいった。
「中国は清末以来、日本が明治維新後、訳した西洋語の漢語を無制限に導入したよ。とくに新中国政府樹立後はその傾向は圧倒的になった。私が一九四一、二年に習った中国語ではschool は学堂だったが、新中国は日本式に学校とあらためた。私はphilosophy のことを理学と習ったが、いまは日本式に哲学になっている。しかも未来にむかって刻々導入していくいきおいだ。高分子化学、免疫化学・・・。。科学用語はぜんぶそうだといっていい」
漢字は文明なのだ、と私はいった。
「逆説的にいえば、漢字は中国だけの”文化”だったが、三国時代の古い朝_鮮で使用され、さらに日本でも使われることによって”文明”になったとといえる。”文明”は他の文化圏で使われなければ文明ではないのだ。新中国の中国人も本能的にそういう道理を知っているのではないか」
-中略-
「文明は、その運動率として交流がある。交流なくして文明などは成立しないし、その国の進歩もない。日本が憎いという感情はわかるが、本来共用されるべき文明まで拒否することではない」
そこまでいって
「そんな弱いことを言っていては、国の体質はつよくならない」
とまで言おうと思ったが、遠慮した。
司馬遼太郎『日韓断章』より抜粋
これは1985年、中央日報の元旦の紙面を飾った寄稿文である。同紙東京駐在員の依頼を受けて書かれたものだが、後に『季刊 三千里』(第42号1985年5月1日刊)に転載された。
とまで言おうと思ったが、遠慮した
司馬センセ、その遠慮がチョソをつけあがらせてるんですよ♪




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