http://www.chosunonline.com/news/20090503000015
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消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?
大帝国モンゴルの馬のひづめが高麗を踏みつけた13世紀、最後まで対モンゴル抗争を繰り広げた軍事集団が「三別抄」だった。崔氏政権の私兵だった 三別抄は、王室が江華島から開京(現在の開城)に戻った1270年(元宗11年)、承化侯・王温(ワン・オン)を新たな君主に推挙し、ぺ・ジュンソ¥ンの指 揮下で抵抗を開始した。三別抄は1271年5月に高麗・モンゴル連合軍の攻撃を受け、根拠地だった珍島が陥落した。それでも、金通精(キム・トンジョン)を中心として済 州島に移り、ここから現在の京畿道富川まで攻撃し、死闘を繰り広げた。73年4月、軍船160隻に乗り込んだ連合軍が圧倒的な軍事力で済州島に猛攻をかけ た。金通精は自決し、残る1300人は捕虜となった。今までの歴史は、ここで三別抄が滅亡したと見ている。
果たして、捕虜を除いたほかの人々は全滅したのだろうか。もし、生き残った三別抄の勢力の一部が胸に「恨」を抱いたまま水平線のはるか南へ向け旅 立っていたとしたら、彼らが到着した場所はどこだったのか。済州島から南へ700−800キロ離れた沖縄ではなかったか。後の時代に洪吉童(ホン・ギルト ン)が渡って作った「