米国国立公文書館 所蔵
戦時日本人 捕虜尋問報告
第49号
尋問場所:レド捕虜収容所
尋問期間:1944年8月20日〜9月10日
報告年月日 1944年10月1日
報告者 アレックス・ヨリチ
捕虜 造船人慰安婦20名、日本人慰安婦2名
捕獲日:1944年8月10日
収容所到着日:1944年8月15日
尋問により判明したところでは、平均的な造船人慰安婦は25歳くらいで、無教育、幼稚、気まぐれ、そして、わがままである。慰安婦は、日本的基準からいっても白人的基準からいっても、美人ではない。とかく自己中心的で、自分のことばかり話したがる。見知らぬ人の前では、もの静かでとりすました態度を見せるが、「女の手練手管を心得ている」。自分の「職業」が嫌いだといっており、仕事のことについても家族のことについても話したがらない。捕虜としてミッチナやレドのアメリカ兵から親切な扱いを受けたために、アメリカ兵のほうが日本兵よりも人情深いと感じている。慰安婦は中国兵とインド兵を怖がっている。
生活および労働の環境;
ミッチナでは慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊していた。それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営んだ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢とも言えるほどであった。この点はビルマ生活2年目について特に言えることであった。食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷり貰っていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれる色々な贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた。
彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された。
優先順位料金等;
慰安婦の営業条件は軍によって規制され、慰安所の利用どの高い地域では、規則は厳格に実施された。利用度の高い地域では、軍は料金、利用優先順位、および特定地域で作戦を実施している各部隊のための利用時間割り当て制を設ける必要があると考えた。尋問によれば普通の料金は次のとおりであった。
1.兵 午前10時〜午後5時 1.5円 20〜30分
2.下士官 午後5時〜午後9時 3円 30〜40分
3.将校 午後9時〜午後12時 5円 30〜40分
以上は中部ビルマにおける平均的料金であった。将校は20円で泊まることも認められていた。ミッチナでは、丸山大佐は料金を値切って相場の半分近くまで引き下げた。

