【BOOK】朝鮮はなぜWA軍に踏みにじられたのか、血で書いた反省文
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1593年1月下旬のある日、柳成竜は開城にいた明の提督、李如松の軍営で膝まずかなければならなかった。李如松は「明軍に兵糧を適時に補給しなかった罪を問い軍法を執行する」と怒鳴りつけた。柳成竜は頭を下げて涙を流すだけだった。一国の宰相がなぜこうした侮辱と恥辱を味わわなければならなかったのだろうか。
このことが起きる何日か前に李如松はピョクチェグァンの戦いで日本軍に惨敗した後、開城に逃げてきた。そして「もう日本軍とこれ以上戦わず交渉を通じて戦争を終わらせる」と宣言する。明軍だけを信じていた朝鮮は衝撃に陥った。
柳成竜は連日李如松を訪ね、「早く明軍を進撃させ日本軍を国外に追い出してほしい」と訴える。だが、李如松は「戦うならお前たちが直接戦え」と拒否する。それでも柳成竜が催促を止めないので兵糧を言い訳に軍法執行を云々し膝まずかせる侮辱を与えたのだ。
『懲ビ録(チンビロク)』はこのように膝まずくことまで耐えなければならなかった弱小国の宰相柳成竜(1542~1607)が残した記録だ。
17世紀初期に刊行された『懲ビ録』が現在まで光を放つ理由は何か。自身をはじめとする朝鮮指導層の過ちと無能を事実通りに叙述する。
柳成竜の日本軍に対する評価は客観的だ。新しい武器の火縄銃の驚くべき威力、死を恐れない日本軍の勇猛さ、緻密で細かい彼らの築城術や用兵術などを淡々と叙述した。
敵対心を超え日本の実状を正しく知ってこそ彼らと対抗できるという信念の所産だった。
火縄銃と大砲、兵法をはじめとする日本と明の先進武器と軍事技芸を学ぶこと、戦争に疲れ日本軍と明軍に苦しめられた百姓らを抱くこと、有事の際に活用できる人材を選抜し育てることなど、「戦争後」に備えた具体的代案がひとつひとつ提示されている。戦争が起きてからわずか17日で首都を奪われ、戦う意志さえない明軍将帥の服の裾をつかんで日本軍と戦ってほしいと哀願しなければならなかった恥辱を繰り返すまいとする悲願は切々だ。
『懲ビ録』は1695年に日本で刊行される。初版『懲ビ録』の序文で貝原益軒はこのように書いた。「朝鮮が惰弱ですぐに敗れ瓦と土が崩れるようになったのは普段から教えずに防御の道を失ったためだ。(中略)これは戦争を忘れたことだ」。鋭く骨身にしみる指摘だった。
誰が間違い、何が不足して敗れたかを具体的に記録することにより同じ過ちを繰り返すのはやめようという衷情だった。
なんだ、実態は朝鮮の惨めな敗戦じゃないの。
涙を流し跪付いて明に助けを乞うただけじゃないの!この嘘吐きCHON!