
1920年、朝鮮総督府は30年計画で耕種改善と80万町歩相当の土地改良を行うことを目標とし、まず最初の15年で2億4千万円の経費を投じて43万町歩分の土地改良を行おうとした。これによって900万石分の米の増産が図られ、うち700万石分を日本本土へ移出することで日本国内の米価が下がり、代金としての日本銀行券が朝鮮銀行に入り、更に半島住民の生活も向上して独立運動が沈静化するという目論見であった。
だが、戦後恐慌の影響もあって最初の数年で計画通りの実施が困難となり、実際に行われた土地改良は9万町歩に過ぎなかった。1926年に「産米増殖更新計画」として改訂して再出発した。改訂計画は今後12年間で残りの目標を実現しようとするもので、その計画には日本政府も協力して斡旋資金2億4千万円を拠出し、更に朝鮮土地改良株式会社・東洋拓殖株式会社土地改良部を新設して事業の実施を促進しようとした。だが、世界恐慌の影響による資金不足で事業遂行が困難となり、更に朝鮮米の大量移入は日本本土の農村恐慌を悪化させるとした世論の批判も登場するようになった。このため、1934年に事実上の計画打ち切りとなった。
この間、土地改良や水利改善によって生産性の向上はあったものの、その反面大地主への土地集積や融資の返済に苦しむ中小農民の苦悩の深刻化、更には日本本土への米の移出増大を達成するため(および不況下での現金収入のため)に却って朝鮮半島における1人あたりの米消費量が減少する(その多くは半島住民の米獲得が困難になったことによる)など、朝鮮総督府の目論見には程遠いものであった。
まあこんなものです。
韓国に対する愛はありません((´∀`*))ヶラヶラ