1904年(明治37年)8月第1次日韓協約により、
大蔵省 主税局長 目賀田種太郎は、韓国財政 顧問に任命された。
着任した目賀田がまず驚いたのは、財政のあまりの紊乱であった。
10年前の甲午改革時作られた財政、行政に関する法令は、
全く有名無実と化しており、担当者の中には存在すら知らない者があった。
予¥算はあっても無いのと同然で、決算書は勿論無かった。
その中でも最大の問題点は、宮廷費と国家財政の切り離しであった。
それは「皇帝の仰せ」と言って、宮中の役人が勝手に資金を要求する
ためであった。
意外なことからこの難問は解決された。
ある日皇帝から目賀田に直接のご依頼が出たのである。
即ち「宮廷費200万円中皇帝が自由になる金は僅か2万円に過ぎない。
これをいま少し増額して貰いたい。また宮廷の役人の俸給も改善して貰いたい」
と言うものであった。
これはこの少し前、目賀田は韓国官吏の余りの俸給の安さ、
それによる賄賂の横行を防ぐため、官吏の俸給の倍増を
発表¥していたことが原因であった。
横領、汚職は、韓国の伝統でした。 orz