李朝末期の朝鮮は、長年の秕政により、灌概設備は荒れ果て、
農業技術も停滞していた。
李春寧は当時の状況について次のように書いている。
1.朝鮮の水田は大部分単作に固執しており、耕起も不完全で、
除草の頻度も少なかった。
日本での反当り播種量は四升であるが、朝鮮は一斗である。
肥料も自給品の域を脱せず、日本のごとく金肥を施さない。
また潅概設備は悪く、多くの水田は天水を待って田植する。
2.農具の種類も単純で、水稲の収量は極上の水田で1.8〜2.2石、
下の水田で7斗、全体の平均で1〜1.5石であった。
施肥の不足、耕起の不足、病虫害に対する傍観的態度等により、
収穫量は日本の半分に過ぎなかった。
3.特用作物としては朝鮮人参は国際的に群を抜いていた。
綿花は品質上中国綿、インド綿に伯仲する位良好であった。
しかしそれより良質のアメリカ綿が、朝鮮の気候、土質に適合している。
煙草も気候、地味が適し、品質も比較的良好であるが、
施肥と手入れに改良の余地がある。
4.朝鮮の耕作技術の後進性は主として農具と肥料の面にあるが、
牛耕によるすきの構¥造、種類、使用法については、
むしろ日本より進んでいる。
これは牛は優良な役畜として外国にも名が知られ、
農家5〜10戸に1頭飼育されていた為であろう。
しかし牛皮、牛骨の利用は不振であった。
馬は牧場と一言えるものは殆どなかった。
豚、鶏、山羊は肉用、卵用の自家用として僅かに
飼われているに過ぎなかった。
5.養蚕¥は地味、気侯も適し、古来盛んであったが、
積年の弊政、奨励の不足により、技術的な改善がなかった。
収量が少なく、隠し田が多く、税のピンハネが盛んなら、
李朝の財政は苦しかっただろう。
それでも王族は、贅沢な暮らしをしていた。