審美眼の構造が基本的に違うw
↑韓国的最高品 ステンレス茶碗w ↑ 日本的最高品 熊川茶碗 銘 田子月 朝鮮時代・16~17世紀
韓国では平凡、日本では傑作…高麗茶碗の謎
2024-03-20 ハンギョレ
この過去の器は韓国の私たちには平凡なものにみえるが、日本人たちはなぜ、最高傑作あるいは貴重なものとみて感動するのだろうか。
先月から東京の青山通りにある根津美術館の1階展示室で絶賛開催中の2つの企画展「魅惑の朝鮮陶磁」と「謎解き奥高麗茶碗」(それぞれ今月26日まで)に主役として登場した多くの高麗茶碗の名作は、このような問いを新たに思い起こさせた。
韓国の愛好家や美術史研究者の間ではよく知られた事実だが、高麗茶碗は高麗時代の茶碗を総称する言葉ではない。粉青沙器と白磁間の境界で「マクサバル」と呼ばれた朝鮮時代の平凡な食器だ。朝鮮時代初中期の15世紀から、陶磁職人がなにげなく食器に使おうとして適当に作ったものを、16世紀に茶文化を愛好した日本の武士権力者や貴族、文人が、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の前に日本に偶然流れてきたこうした器などを見てすっかり惚れこみ、自分たちの静寂で細やかな美意識を投影し、自分たちの審美的な鑑賞の対象にした。
そのため、模様もなく所々にひび割れがあったり穴が開いていたり、下の高台は釉薬すら塗られていないか大雑把に塗られた跡を見て、彼らは感激する。春夏秋冬の季節が変わるたびに感じさせる鮮烈な季節感や、孤独で窮屈な人生の情緒を質感でみせてくれるといった、しばしば「もののあわれ」に代表される日本人のわびさびの情感を品格高く示してくれるといった賞賛を浴びせる。何の作為も加えずに作るということと、人生に忠実な無位と無心の美学で白磁と青磁を眺める韓国人の審美観としては、納得するのは難しく、同感することさえ容易ではない。
