韓国歴史教科書 朝鮮通信使
また、徳川幕府と李朝朝鮮との間で「朝鮮通信使」による交流があったことは知られているが、その通信使についても「……日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し、朝鮮では通信使を派遣したが、……日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった」(中学)、「徳川幕府は、先進文物を受け入れるために、……交渉を許可するよう懇請した」(高校)と書かれている。つまり、中世や近世でも、朝鮮は「先進学問と技術」をもつ先進国として描かれ、日本はその先進文物を「懇請」し、朝鮮はそれを「許可」する立場の国だったというわけである。要するに、ここに共通するのは朝鮮を「文化的優越者」と位置づけ、日本は「劣等」であるとの姿勢である。
豊かで文化的に優れていた朝鮮を日本が併合して収奪した。これを捏造する為 歴史歪曲する朝鮮教科書。
現実

「大阪に着くと、宮殿のような家々が一列に並んでいて、夜はみんな色とりどりの紅灯と明かりで照らすので、美しい真珠玉を数万個つなげたようだ。本当に今まで見たことのない壮観だ。その昔の唐の長安でさえ、これとは比較にならないようだ」
「大きな道路ごとに存在する居酒屋は秩序よく整えられており、倭色の絹の服できれいに着飾った女性たちと少女たちが人々を接客する。お酒と多様な食べ物が出てくる。休む旅人たちは木刀を身に着けている武官もいれば、政府の官吏もいれば僧侶もいれば、一般の農民や商人も混ざっている」
「青い瓦と石で飾った地方の役所は、その大きさに口が塞がらないほどだった。大通りには絹の服を着た男性と女性が自由に歩き回っている。どうして倭人は、民たちが絹の服を着て歩くのか?毎年、食事を欠かして苦労している朝鮮の民を考えると、倭;人に対する怒りがこみ上げてきた」

「倭、人たちが作った寺の仏塔と大きな橋を見ていると心が痛かった。仏のようなものを信じることは性理学の真理に従う我々朝鮮では容認できないが、これらの建物の華やかさと壮大さはすでに我々朝鮮をはるかに超えている」
「長崎というところに着くと、体格が壮大で目玉に色がある西域人たちが、奇怪な旗を船にさして、たくさん停泊していた。倭。人に聞いてみると、彼らは「和蘭」(オランダ)と「西班牙」(スペイン)の人々で、「天竺」(インド)よりも遠いところから来たという。世の中の秩序は中華であり、中華がまさに根本だが、倭;人たちが中国は遠ざけ、このように西域のオランケと通交する姿を見ると嘲笑が出た」
「西域人たちの多くは、おかしな軍人の服装をして騒いで長崎の街を闊歩していた。我々の倭人の引率者は、その西域人の学問と文物が相当な水準だと我々に説明したが、オランケに学ぶことが何かあるというのか?この西域人たちは孔子と孟子さえ読まないというが、それなら彼らは人間としての基本的な仁義礼智も知らない獣のようなオランケだろう」
「街の倭;人女性たちは実に美しい。色とりどりの美しい倭の絹の服を着て、きれいに結んだ髪には花飾りをし、玉のように白い肌と深いまなざしで笑っている。昼間に見たある女性の美貌がいまだに頭の中から離れない」
1719年、江戸幕府に派遣された通信使・申維翰が書いた「海遊録」の一部