歴史と世界の中の日本人38
喜劇王の絶大な信頼を得た日本人
http://artistian.net/wp-content/uploads/2019/04/chaplin_comtoJP2-289x300.jpg 289w” sizes=”(max-width: 444px) 100vw, 444px” xss=“removed”>東京朝日新聞1932年4月24日夕刊喜劇王、チャーリー・チャップリンは、生涯で4度来日しているが、1932年に来日した際、日本を訪問するようになったきっかけについてこう語っている。
「日本人は皆、正直で親切だ。何をやるに際しても信頼できる。そのため、日本人に非常に好感を持つようになった。やがて、こんな素晴らしい人々をつくり出している日本という国に行ってみたくなった」
チャップリンが大の親日家であったことはよく知られている。
チャップリンはラフカディオ・ハーンの『怪談』を通して日本に興味を持ってはいたが、日本とチャップリンを決定的に結び付けたのは、長年、チャップリンの秘書を務めた日本人、高野寅市(1885~1971)である。
広島で生まれた高野は15歳の時に渡米し、苦学の末に1916年に運転手を募集していたチャップリンに採用された。
高野はその誠実さでチャップリンの絶大な信頼を得た。
高野は運転だけでなく、経理や秘書など、さまざまな役割を器用にこなした。
チャップリンは自著の中で「高野は何でもする。看護師、乳母、侍者、秘書、護衛、何でもした。彼は日本人で、私のためには何でも屋だった」と記している。
高野の働きぶりに感激したチャップリンは、使用人を次々と日本人に変え、最も多い時は17人の使用人全てが日本人だったという。
高野はチャップリンの遺書の中で相続人の一人に選ばれるほど絶大な信頼を得ていた。
。
幕末から明治期に来日した西洋人たちもまた、日本人の礼節・親切・正直・明朗といった徳目に驚嘆し、称賛の言葉を惜しまなかった。
これが、日本人自身が知らなければならない最も重大な日本の真実の一つである。