
朝鮮王朝時代、朝鮮では鶏肉料理が普及しておらず、三伏にはユッケジャンないしポシンタンが食されていた。
参鶏湯は、日本統治時代の朝鮮で鶏肉料理が発展する過程で誕生したと考えられている。当時朝鮮を統治していた朝鮮総督府は鶏卵生産のため、朝鮮全土の農村にそれまで普及していなかった養鶏を副業として始めるよう奨励していた。その結果、朝鮮でも鶏肉を使った料理が1910年代から徐々に普及するようになり、1917年には朝鮮料理研究家の方信榮が著書の『萬家必備・朝鮮料理製法』(京城・新文館発行)でタックク(닭국、鶏肉の入ったグク)を、1924年には李用基が著書の『朝鮮無双新式料理製法』(京城・永昌書館発行)で調味料無しで材料を長時間煮込むペクスク(朝鮮語版)(백숙、丸鶏の水炊き)をそれぞれ紹介している。
参鶏湯が現在の形となるのは1960年代の大韓民国においてである。韓国独立後も1950年代まで鶏参湯はタッククやペクスクと比べるとマイナーな鶏料理であり、食され方も従来の方法が採られていた。だが、1953年の朝鮮戦争休戦後に高麗人参が普及すると鶏参湯も本格的に飲食店で提供されるようになり、粉末で入れていた高麗人参が丸のままとなったほか、1960年代には高麗人参の効能を強調するために名称が鶏参湯から参鶏湯(サムゲタン)へと変わっていった。これ以降、参鶏湯は「三伏に食べる料理」として夏の料理を代表する地位を築いている。
https://www.khan.co.kr/culture/culture-general/article/201104191907455

九州の水炊きは、「水から炊き出した鶏のスープ」を味わう料理である。鶏ガラや骨付きの鶏肉を長時間煮込み、十分に出汁が出てから野菜やその他の具材を投入する。
1643年(寛永20年)の『料理物語』第九汁の部に「南蠻料理・鶏の水たき」という名で長崎の名物家庭料理が記載されている。「鶏の毛を引き、かしらと足としりを切り洗い、鍋に入れ、大根を大きに切り入れ、水をひたひたよりうへに入れ、大根いかにも、やはらかになるまでたく。さて鳥をあげ、こまかにむしり、もとの汁へかけをおとし、また大根にてすりあはせ、出候時、鳥を入れ、さか塩口にて、すい口にんにく、その外色々、うす味噌にてもつかまつり侯。妻に平茸、ねぶかなども入。」とあり、丸ごとの鶏とダイコンを柔らかく水煮にした後に食べやすくほぐし、酒や塩、ニンニク、味噌などで調味して食べた。これは、同じく汁の部にある「鶴の汁」や「狸汁」などが味噌を加えて煮ているのとは違う作り方である。この南蛮料理は江戸時代の終りまで長崎の家庭料理として伝えられ、長崎の名物料理の一つになっていた。明治初年、長崎の人が博多に伝えて博多名物の鶏の水炊きになったという。
「博多水たき発祥の店」を謳う料理店水月は、長崎出身の林田平三郎が香港遊学時に学んだ西洋料理のコンソメと中華料理の白湯をアレンジし、1905年に博多水炊きを完成させたと説明している。