
楽浪の海中?朝鮮半島だったのだろうか?
楽浪海中在倭人
倭の文字の初出は、正史は後漢初頭に書かれた『漢書』地理志(班固)であり、正史以外では『論衡』(王充)がある。
『漢書』では、倭は朝鮮半島の南の海の中にあると書いており、『論衡』では、越常と倭が併記され、倭は中国の南の呉越地方(揚子江の下流域の南付近)と関連があると推定しているようである。『晋書』や『梁書』などでは「太伯之後」と記し、倭人が呉の祖である太伯の子孫と自称していたことを記録している。
『山海経』第九 海外東經では、東方の海中に「黒歯国」があり、その北に「扶桑」が生える太陽が昇る国があるとされていた。この黒歯国と倭が関連付けられている記載として、以下のものがある。
『三国志』魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)
「去女王四千餘里又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可」
女王(卑弥呼)国を去ること4000余里(4000里前後)に裸国が有り、また黒歯国が在り、(裸国から)東南に船でおよそ一年である。
『梁書』巻五十四 列伝第四十八 諸夷伝 東夷条 倭
「其南有侏儒國 人長三四尺 又南黑齒國 裸國 去倭四千餘里 船行可一年至 」
その(女王国の)南に侏儒国が有り、(侏儒国の)人の身長は三四尺(古代中国の1尺は、隋までは23cm前後なので、三四尺は23cm×3≒70cm〜23cm×4≒90cm)である。また南に黒歯国と裸国があり、倭を去ること4000余里(4000里前後)、船でおよそ一年で至る。
