明軍
朝鮮で「天兵」と呼ばれた明軍は、文禄の役においては、祖承訓率いる5,000人、李如松率いる秋水鏡を含む43,000人が参戦し、さらに碧蹄館の戦い後に劉綎率いる5,000人が増援として新たに到着した。ルイス・フロイスは、平安城を囲んだ明軍の兵力を伝聞として「少なくとも20万」と記載している[慶長の役については、最大動員となった慶長3年(1598年)9月の蔚山・泗川・順天の三方面同時反攻の際の兵力を、『宣祖実録』は水軍を合わせ92,100人とし、参謀本部編纂『日本戦史 朝鮮役』では同じく64,300人としている。また朝鮮の史料『燃藜室記述』では両役を通しての明の動員数を221,500余人とする。
明史』 320巻 朝鮮伝
「自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。」
七年にわたる朝鮮の倭乱によって、兵数十万と糜餉(戦費)数百万を失い、中国と属国(朝鮮)に勝算はなかったが、関白(秀吉)の死により戦禍は終息に向かった。
同様の記述は日本伝にも見られる。
『明史』 322巻 日本伝
「前後七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與朝鮮迄無勝算,至關白死兵禍始休。」
七年にわたって、兵数十万と糜餉(戦費)数百万を失い、中国と朝鮮に勝算はなかったが、関白(秀吉)の死により戦禍は休息に向かった。
当時の国力 戦力
日本>明+朝鮮