
Harbert C. Hoover
1874-1964
第31代 米国大統領
私(フーバー)が初めてこの国を訪れたのは1909年のことである[
日本の資本家に依頼され、技術者として助言するためであった。
当時の朝鮮の状況には心が痛んだ。
人々は栄養不足だった。身に着けるものも少なく、家屋も家具も粗末だった。
衛生状態も悪く、汚穢が国全体を覆っていた。悪路ばかりで、通信手段もほとんどなく、教育施設もなかった。
山にはほとんど木がなかった。盗賊が跋扈ばっこし、秩序はなかった。
日本の支配による35年間で、朝鮮の生活は革命的に改善した(revolutionized)。
日本はまず最も重要な、秩序を持ち込んだ。
港湾施設、鉄道、通信施設、公共施設、そして民家も改良された。
衛生状況もよくなり、農業もよりよい耕作方法が導入された。
北部朝鮮には大型の肥料工場(訳注:朝鮮窒素肥料)が建設され、その結果、人々の食糧事情はそれなりのレベルに達した。
日本は、禿げ山に植林した。
教育を一般に広げ、国民の技能を上げた。
汚れた衣服はしだいに明るい色の清潔なものに替わっていった。
朝鮮人は、日本人に比較すれば、管理能力や経営の能力は劣っていた。
このことが理由か、あるいはもっと別な理由があったのか確かではないが、経済や政治の上級ポストは日本人が占めた。
1948年、ようやく自治政府ができた。しかし。朝鮮人はその準備がほとんどできていなかった。
(後略)
