日本の漁師40人殺害して独島を侵略したと韓国大手紙が自慢してしまう


1951年に日本の主権を回復してやるサンフランシスコ条約が最終合意された。米国は、この条約から独島を外してしまう。日本の主権が回復されると同時に、マッカーサー・ラインも無効になった。
しかし韓国には外交の鬼神ともいえる李承晩(イ・スンマン)大統領がいた。サンフランシスコ条約が発効する直前の1952年1月18日、一方的に「平和線」を宣言した。60カイリまで韓国の領海だという発表だった。鬱陵島から独島まで50カイリほどだったので、独島を領土に含めるための宣言だった。当時の国際法上、領海の基準は3カイリで国際法で違法だった。何の法的根拠もない李承晩ラインに、日本はもちろん国際社会も抗議した。中共軍の介入に遭って共に血を流して戦っていた米国まで強く反対した。
世界中が非難したが、李大統領は平和線を越える日本の船に容赦なく銃撃を加え殺害し、拿捕した。平和線宣言から1年後には、独島義勇守備隊が独島を守り始めた。1965年の韓日漁業協定で平和線がなくなるまでの間に、300隻を超える日本船が拿捕された。4000人近い日本人漁師が韓国の刑務所に拘禁され、およそ40人が死んだ。主権が無い日本は、独島は自分たちの領土だと主張はしたが、実効的措置は何もできなかった。独島に対する韓国の実効的支配はまさにこの平和線で始まったと思う。今の若い層は「平和線」をほとんど知らないが、何の力もなかった国が「力による侵略」で領土を守ったドラマのような事例だ。
李承晩の反日外交は分かるほど感心することになる。朝鮮戦争後、国連軍では日本軍の投入を検討し始めた。すると李承晩は「日本軍が来れば先に日本軍を全滅する」と宣言した。1953年には台湾軍の投入も議論された。台湾は同じ反共国だったが、李承晩はこれさえ拒否した。
戦争が終わり、1954年イ・スンマンは米国でアイゼンハワー大統領と最悪の韓米首脳会談をする。アイゼンハワーが日韓関係の正常化を要求すると、イ・スンマンは断固として断った。怒ったアイゼンハワーが部屋を出てしまった。帰ってきたアイゼンハワーが別の問題を議論しようとすると、今回はイ・スンマンが勝手に退場してしまった。独立運動家の彼は日本だけは容認できなかった。
朝鮮日報(韓国語) 2024年3月20日