16世紀に日本にやってたポルトガルの宣師ルイスフロイスは′次のように書きしています。
◆
日本の女性は女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても′名を失わなければ′結婚もできる。
日本では娘たちは親にことわりもしないで一日でも幾日でも′ひとりで好きな所へ出かける。(岡田章雄注『ヨロッパ文化と日本文化』)
幕末にペリ提督とともに日した通のウィリアムズは′次のように驚倒しました。
私が見聞した異徒諸の中では′このが一番淫らかと思われた。したところから判すると′しみを知らないといっても過言ではない。★婦人たちは胸をそうとはしないし′くたびに太腿までかせる。男は男で′前をほんの半端なぼろ〔ふんどし〕でしただけで出き′その着具合を別ににもとめていない。裸の姿は男女共に街頭に見られ★′世間などはおかまいなしに′等しく混浴の湯へ通っている。淫らな身ぶりとか′春とか′猥談などは′庶民の下劣な行や想念の表現としてここでは日常茶飯事であり′胸をくさせるほど度を過ごしている。(洞富雄『ペリ日本遠征行記』)
江時代に日本にやってた朝鮮通信使の申維翰は′男娼が持てはやされていることに驚愕し′次のように書きしています。
「日本の男娼の艷は′女色に倍する。(中略)君をはじめ′富豪′庶人でも′みな財をつぎこんでこれを蓄え′坐臥出入のときは必ずわせ′耽溺して飽くことがない」(姜在彦注『海游』)
◆
ここまで罵倒されると′むしろめられているとしか思えませんが幕末や明治初めに日本にやってた米人の多くが′日本人が平で裸で通りをくことに驚嘆しています。江時代まで湯が混浴だった光景はよく知られています。十年前まで′女性が表で公然と乳に胸をふくませる光景はよく見られましたから′日本人が裸を恥ずかしがるのは′つい最近生まれた「奇習」と言えるでしょう。
ここまで結んでも良ければむしろ誉められているとしか考えられないですが????????????????
幕府末や明治初期に日本へ来た西洋人の大部分が, 日本人がピョングギで ★裸で通りを歩くことに驚歎している★ 江戸時代まで風呂場が混浴だ. 一光景はよく知られています. 数十年前まで, 女性が表で公開的に乳児に胸をぬぐう光景はちゃんと見えたので, 日本人が裸になった身を恥ずかしがることは最近作られた習慣だ
まず′裸をす衣服の話題から始めよう。極めて簡な衣を着けるだけでます日本人は′外人にとって不思議だったようである。一八五八(安政五)年八月′エルギン卿の秘書として長崎に到着したオリファントはこう語っている。「半裸の男女が裸になり′そべっている。またその子供たちがこれも裸で這いまわり′またつきることのない泉(母親の乳のこと)をみほうだいんでいる。女はほとんど胸を覆わず′男は簡な腰布をまとっているだけである」。またオリファントは下田でも同の察をしている。「長崎と同′この地でも貧しい階層の人たちは衣が簡易で′男はほとんど下だけ′女はふつう腰から上を露出している」。
職業にもよるが′裸が仕事着だった人も多かった。一八六(万延元)年にプロイセン遣日使節(ハイネが三度目の日を果たした際の使節)と一に日した運送船エルベ艦長ラインホルトヴェルナは′「手工業者′肉者など階級の者は′夏場は腰にをつけただけで′あとは丸裸だ」と述べる。たとえば駕篭かきや馬丁′さらに明治時代になると人力車夫などは裸が一般的である。スイス人アンベルが見た馬丁の姿を見てほしい(上)。なんともたくましい肉である。ちなみに箱根の泉に外人で最初につかったボヴォワルが′彼の著作のにこの馬丁を流用している。
また′男性だけでなく女性も裸が仕事着だった。「女性も家の中で仕事しているときでも′暑いと止むを得ず着物をおおかたいでしまうので′裸同然の姿となる」と′ヴェルナ艦長は言う。柳田男も「夏の仕事着には裸といふ一式もあつた」と指摘するように′高多という日本の候上′簡便な衣服でいたり衣服そのものもぎ去って裸でいることは′ある意味自然だったのであろう。また衣服を大切にしようという意識もいていたようである。いずれにせよ′こうした習慣は外出時に必ず衣服を着けるという意識を弱めこそすれ′めることはない。