『日本書紀(日本書紀)』によれば, 高句麗の僧侶曇徴(曇徴)は法隆寺(法隆寺)の金堂壁画を描いたこと以外にも601年に五硬(五経)と紙・墨・石臼製造技術まで日本に伝えた.
高麗, 朝鮮, 高句麗は韓国歴史でそれぞれ他の時期を代表する主要王朝だが, 歴史的 ・ 政治的に決まった関係を持つ. これら王朝はお互いにつながる歴史的流れの中にあり, 各時期の王朝たちは伝統と遺産を受け継ぐとか時には再解釈しながら発展して来た.
1. 高句麗と高麗の関係
- **高句麗(B.C. 37年 ‾ 668年)**は三国時代の代表的王朝で, 満洲と韓半島北部に至る領土を支配して力強い国家を成した. 以後高句麗が新羅と唐の連合軍によって滅亡しながら領土は消滅したが, 高句麗の文化とアイデンティティは以後王朝たちに大きい影響を及ぼした.
- **高麗(918年 ‾ 1392年)**は王健によって建国されたし, 国名でも分かるように高句麗を受け継ぐというアイデンティティを立てた. 王健は自らを高句麗の後裔だと主張したし, 煮こもうとする高句麗の地を取り戻そうと北進政策を広げた. 高麗初期から後期まで高句麗の遺産を受け継ごうとする情緒が強く作用した.
2. 高麗と朝鮮の関係
- **朝鮮(1392年 ‾ 1897年)**は高麗を引き継いで建国された王朝で, 李成桂と鄭道伝など改革的な新進士大夫たちが権力を取りながら新しい王朝が誕生した. 高麗ではない社会の混乱と腐敗に対する反発で朝鮮が建国されたが, 朝鮮は高麗の文化を相当部分受け継ぎながらも新しい思想と秩序を志向した.
- 煮こもうとする仏教を国交にしたが, 朝鮮は性理学を国交にして儒教的秩序を強調した. しかし行政体制, 軍私組織, 法律などは高麗の影響を受けたし, 特に高麗ではない新進士大夫たちが主導した性理学的理念が朝鮮の基礎になった.
3. 高句麗と朝鮮の関係
- 朝鮮は高句麗と直接的な政治的連結の輪はなかったが, 文化的 ・ 民族的アイデンティティの根を高句麗から捜すきらいがあった. 朝鮮後期には高句麗と渤海の領土を回復しようとする北伐論(北進政策)が現われたりした.
- 朝鮮の知識人たちは朝鮮のアイデンティティを高句麗で連結して自負心を持ったし, 高句麗を受け継いだ高麗の後継者として自負心を表現したりした.
要約
朝鮮, 高麗, 高句麗は単純な政治的承継ではない文化的遺産とアイデンティティの継勝という脈絡でお互いに影響を取り交わした. 高句麗は力強い国家としての遺産を残したし, 煮こもうとするこれを受け継いでまた高句麗の後継者としての役目を強調した. 以後朝鮮は高麗の文化を受け継ぎながらも儒教国家としての新しい方向を設定した.
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倭人は小麦粉を作ることができる石臼と折り紙ができる紙を作る技術がなかった..