泯乱ない日本, 民心の国韓国
キャンドルデモを伝える日本テレビたちが騷騷しい. 一番驚くのはやっぱり参加者数. 出演者たちが開けた口をつぐむことができない(そこに太極旗集会まで加わったら “え? もっとあったの?” する反応). カメラが群衆の中に入って行きながら口たちはもっと起る. 上手な政治発言が横行するのはそうだとしても, 仮装(家長)舞蹈会を彷彿させるデモ衣装とパフォーマンス, 一パネルが羨ましがる. “まるでひとしきり遊びみたいですね.” すると年を取った人がにっこりと吐き出す. “やっぱりデモ対局.”
韓国のデモ規模に日本人たちの驚愕することも無理ではない. 20世紀日本最大デモという 1960年安保闘いの時東京に集まった数は主催側推算でも 30万名を上回るだけだ. その後最大デモだった 2015年安保法案反対デモも 10万名位だった. 東京人口はこの期間に始終 1000万名内外だった. また日本全体人口は韓国の 2.5倍に近い(南北韓人口の 2倍程度. 実はこの割合は朝鮮後期=徳川時代からそうだった). デモ参加人数というのが正確に把握することは大変だが, 人口が半分にもずっと及ぶ事ができない韓国で, 日本の何倍規模のデモがいつも起きることは事実だ. これをどんなに解釈しなければならないか?
私が日本史を勉強しながら印象深かったことは民(民)の政治行動がよく起きなくて, またその規模が参加者数でも地域的でもあまり大きくならないというのだ. 泯乱の国中国や, 民心の国朝鮮に比べれば珍しく見えた. もちろん徳川時代始終イッキ(一揆)と呼ばれる農民たちの抗議行動があったが, その規模が軍(郡) 単位を越す場合も珍しかったし, 暴力行事も制限的だった. 農民たちは概してマニュアルどおり行動したし, 権力側の処理もそうだった(今も同じだ. 甚だしくは日本共産党の手もとこんなに大様だ!). 研究者たちがこれを泯乱や反乱, あるいは暴動と呼ぶことができない理由だ. そうしてみれば激動の 19世紀にも日本民衆たちは ‘私は(乱)’と呼ばれるに値するデモ行動を起こしたことがほとんどない. 白蓮教の私は・太平天国の私は(中国), 洪景来の乱・真珠泯乱・東学農民戦争(朝鮮) などを思い浮かべば, まさに著しい対照だ.
これに比べて朝鮮は世論政治の国だ. もちろんその主要担当者は士たちだ. 中央に吹き荒んで上がる渦社会で中央政治は国者たちの理解と序列にまでもゴッザング影響を及ぼす. 皆彼に見詰めて発言して行動するしかない. 世論に訴えるために機会さえあれば, 士大夫たちは上書して沙鉢通文を回して, 民衆たちは上言して撃錚する(ハンサンググォン <朝鮮後期社会と願い制も: 上言・撃錚研究>). 不満が積もれば行動に入って行く. 朝鮮の里は徳川日本のそれに比べれば, とても緩い社会だ. 民衆たちは里に大きくかかわらず, 引っ越すとか移動する. 余分の単位を越すこともたくさんある. 東学や 3・1運動みたいな民衆デモが一瞬のうちに全国化されることもこんな社会的背景があるのではないか(解放後のチァンバンタックウンドング, 4・19革命, 87年 6・10抗争などその例はおびただしい).
私が去る 1月12日付けコラムで言った ‘箱社会’ 日本はどうなのか. 私は 2014年 3月 3・11 大震災 3周年を迎え福島地域を尋ねたことがある. 3年が経ったが罹災民たちは相変らず臨時家屋で暮していたし, 罹災民対策委元会方々はAbe政府がこんなにまでそまつに待遇することイッニャであり怒りを耐えることができなかった. 見るに耐えなくて私が言った. “神戸大震災罹災民方々とは連携がある?” 委員長がしばらく私の顔をぼうぜんと見たら虚空を見てため息交ぜて言った. “あ‾, ゴベデスカ?(あ, 神戸です?)” たぶん東北(東北)地域のその方たちに私遠く(!) 関西(関西)にある神戸は他の箱で思われたようだ. 韓国では撤去民, 露天商, 貧民までも ‘全国○○連合会’があると言ったら, 目と口が同時にドンググレジョッダ.
経済史では同調率(同調率)という言葉がある. 一地域で起きる経済的変動が他の地域に影響を及ぼす位が高いほどその社会の経済的同調率は高いことになる. 経済の商業化程度が弱かった朝鮮は同じ時期徳川日本に比べて経済的同調率が低い社会だった. しかし ‘政治的同調率’という観点で見ればどうかな. 中央政界でイシューがはみでれば, 全国各地で数百, スチォントング, 時には万単位の上書が上って来る朝鮮の ‘政治的同調率’は断然目立つ. 今の韓国も同じではないか.
