中国、我が歴史のトラウマ
「中国人民解放軍の陳炳徳総参謀長が韓国の金寛鎮(キム・グァンジン)国防部長官と会談した席で、一方的に10分間ほど米国を非難する外交的な非礼を見せたといいます。私は歴史学者としてそのニュースを聞いた時、1618年に後金のヌルハチ(努爾哈赤)が明に宣戦布告をした頃、朝鮮に送った手紙を思い出しました」。
非常に興味深い講義だった。私は18日晩、歴史専門出版社「プルン歴史」の付設機関「プルン歴史アカデミー」が準備した歴史特講の最初の時間に出席した。予告されていたテーマ(「G2時代に改めて見る朝鮮時代の国際関係」)と講師(ハン・ミョンギ明知大教授)の名前を見て、この講義をぜひ聴きたいと思った。少なくない参加料まで支払ったので、計4回の講義で必ず元を取ろう(?)と思っていた。
後金は1618年の宣戦布告の前後、朝鮮を‘お前’と呼ぶ国書を送り、明の戦争に朝鮮は介入するなと伝えた。朝鮮は苦しい状況の中、光海君の賢明な実利外交で持ちこたえていた。しかし仁祖の時代に入ると、力もないのに後金に抵抗して丁卯胡乱(1627年)を経験し、続いて丙子胡乱(1636年)でははるかに過酷な災難を迎えた。仁祖は真冬に南漢山城(ナムハンサンソン)を出て、清のホンタイジ(太宗)に3度のお辞儀をし、9度も頭を下げた。勝者のパーティーが終わり、ホンタイジが毛皮を贈り物として渡すと、また仁祖は「感謝します」と2度ひざまずいて6度も頭を下げた(三田渡屈辱)。王がこれだから一般民の惨状は言うまでもない。清に連行された捕虜だけでも最大50万人。逃げて捕まり、かかとを切られた捕虜も多かった。清に連れて行かれて性奴隷に転落した朝鮮女性は満洲人の本妻から熱湯を掛けられたりもした。苦労して故国に戻ると「還郷女」という罵声を浴びた。その前の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)に参戦した明の軍隊はどうだったのか。国民は明軍の過酷な収奪を「倭軍は目の荒い櫛、明軍は目の細かい櫛」と表現した。
ハン・ミョンギ教授は「新しい強国が従来の覇権国に挑戦する時、韓半島にはほぼ例外なく危機が迫った」と分析した。 中国大陸で元から明への交代期、16世紀の日本の戦乱期、明から清への交代期、近代の清・日国力逆転期がそうだ。 倭乱・胡乱から国亡にいたるまで朝鮮の悲劇はすべて、既存の覇権国と新興強国の間で「関係」に失敗した場合に訪れた。 中国が米国に立ち向かい始めた今はまさにこういう時期ではないだろうか。
大韓民国で生まれたという幸運のため私たちが経験していないだけで、先祖にとって中国発の屈辱はほとんど日常的だった。 歴史的に中国の傲慢と非礼は新しいものではない。 中国の使臣を恐れ多く迎えた迎恩門を壊して独立門を建てたのはわずか115年前だ。 袁世凱が威勢を見せたのもこの頃だ。 中国では明時代の壬辰倭乱参戦を「抗倭援朝」と呼ぶ。 419年後に起きた韓国戦争(1950-53)参戦は「抗美援朝」だ。 当然のことながら、徹底して自国中心に歴史を見ている。 私たちは国を丸ごと奪った日本に対する強烈な反感と冷戦時代の竹のカーテンのため、中国というスーパーパワーを忘れて過ごしてきたのではないだろうか。 しかしもうこうした例外的な時代は終わった。 中国・米国の間で「関係」をどう設定するのか深く考えなければ、先祖たちの悲劇が別の形で迫ってくるかもしれない。 いずれにしても米国だけを常数として国の進路を模索してきた時代は過ぎたようだ。
こうしてみると、陳炳徳総参謀長が金寛鎮長官に見せた‘非礼’は今後、非礼のうちにも入らないのかもしれない。 ハン・ミョンギ教授も講義を終えながらこう語った。 「私たちは非常に頭が痛い時間を控えているようだ」。
ノ・ジェヒョン論説委員・文化専門記者
https://japanese.joins.com/JArticle/142078
自国民を献上した李氏朝鮮の史実
ご存知の通り、丙子胡乱は、国号を「清」と改めたいわゆる支那が、同朝皇帝の即位を認めない朝鮮に大軍を以って軍事侵攻し、同国を制圧した戦いであった。1637年に降伏の和議が交わされて以来、朝鮮は 2世紀半の長きに渡り、「清」への隷属を強いられたのである。「清」との和議により、毎年、『黄金100両、白銀1000両の他、牛3000頭、馬3000頭など20項目余りの物品を毎年献上した。毎年美女3000人も献上したとされるが、詳細は不明であり、実際は、8才~12才までの少女の献上が確認されるだけである。
献上の規模や内容の詳細については諸説によって差異があり、専門家の検証に委ねるしかない。表題記事の数値についてもまた同様と思われる。だが、その2世紀半の長きに渡り、金品と併せて自国民、とりわけ婦女子を「清」に献上していたことは、共通して指摘される点である。それが年々、および250年にも渡るとあれば累々たる数に上るに違いない。
現代でいえば、この宗主国と属国の両方に顕著な「人権問題」が指摘されるはずだ。米国下院議会に、韓国民のために、議員10人の出席により60年以上も前にあったとする“性的奴隷”の「対日謝罪要求決議」を“採択”し。あるいは、同様に、90年以上前のアルメニア人に関し「当時のオスマン・トルコ帝国を非難する」決議案を“採択”する“寛容性”が有るならば、いっそのこと、370年遡(さかのぼ)り、これらの諸国に対する「謝罪要求決議」でも採択したらどうか。ふと、そうとさえ思いたくなるおぞましい史実である。
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清は朝鮮^人を「物」としてあつかう
表題に云く、『朝鮮^人捕虜の生活は凄惨を極めた。一冬の間に2000里を超える道を歩かされ、清軍から鞭で打たれ続けた。凍えた体を鞭で打たれたため、皮膚が裂けて血が滲んだ。そして捕虜は奴隷市場に売られて行った』と。
そして、云く、『清の人々は男女を問わず、朝鮮^人捕虜の衣服を剥いで健康状態をチェックした後、代金を払って奴隷を買っていた。奴隷を売買する市場を目にした荘献世子は、『瀋陽状啓』において「(代金を支払って捕虜の身を免れる)送還費用として要求される代価の値段は測り知れない。多ければ数百もしくは数千両にもなり、人々は皆希望を失い、泣き叫ぶ声が通りに溢れ返っていた。毎日館所の外で泣いて訴えており、残酷でどうにも見ていられない』と同書に記されているとある。
言葉は悪いが、「清」にとっては、乱終結時の朝鮮^人捕虜や、その後の朝鮮からの「献上」で手に入れた人間を「物」としてあつかっていたことは事実であろう。“歴史認識”を正しく持つのであれば、自国の、しかも2世紀半に渡るこの「歴史」から学び直すべきだろう。
同記事には、同書の著者が『『朝鮮王朝実録』をはじめ、当時のあらゆる資料に記されていた事実を土台として、朝鮮の人々の受難の歴史を語る。朝鮮の女性キム・プンナム、白丁(賤民の中で最下位に位置する人。)キル・ヨンボクといった下層階級の人物を登場させることで、生き生きとした情感を増したが、すべてにおいて事実を土台に据えた』とある。
あまりに生々しいために、「史実小説」というスタンスで読者を広めようとしているようだが。著者のチュ・ドンシク氏は、『金永三(キム・ヨンサム)政権で政務・広報主席、文化体育部長官を務めた』人物とのこと。記事に紹介されているこの著者の言葉が印象的である。云く、『韓国は17世紀にも清の要求に従い、自国民を供出するかのように、毎年数十人ずつ献上していた国だ。時代が変わったとはいえ、このような国で今さら人権を手に入れることができるのだろうか』と。現状では困難だろう。
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朝鮮を隷属から救った日本
日本は、その「清」を日清戦争で打ち破り、下関条約(1895年4月17日)の調印を以って、朝鮮を独立させたのである。同条約の第1条には、『清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)』と明記し、ここで朝鮮は「清」への隷属から解放されたのである。その後、ロシアをはじめ数ヶ国による干渉が度を増し、1910年の、大日本帝国と大韓帝国との間で「日韓併合条約」締結(8月22日)となった。この日韓併合に際し、当時の日本にとっては、朝鮮半島の「併合」は、膨大な労力と費用を投じるのみでさしたるメリットも無く、「支那、ロシアから隣国の韓国を保護する」以外に目的はなかった。
この「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本が大韓帝国を併合し、朝鮮は正式に「日本国朝鮮地方」となった。巷間で意図的に呼ぶ“植民地時代”ではなく、日本の「一地方」ゆえに、日本政府は莫大な予算を投入し、朝鮮の近代化に尽力したのである。「日本国朝鮮地方」には、5000校を超える学校をはじめ、必要な各種設備、医療設備、道路他の多数のインフラを構築したのである。近代教育の教育の中でハングルを必修として、文字を用いる文化を提供。日本人による朝鮮史上初の「朝鮮語辞典」(朝鮮日報2004年2月27日付が報じる)が生まれたのもこの時代である。人を国家の基本として重視する日本は、朝鮮半島の医療と衛生環境を飛躍的に向上させ、半島の人々の平均寿命の伸長にも貢献したのである。
こうした資金や資材などの「物的支援」に終わらず、「人的支援」「技術支援」も同時に行った時期が「日韓併合」時代である。この日本の献身的な努力と貢献により、また、戦後にも提供した多大な支援により、朝鮮半島には“奇跡”と呼ばれるほどの発展をもたらされたのである。後に、昭和40年(1965年)の「日韓間相互の請求権の破棄」の取り決めにおいて、「両締約国(日韓双方)は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とする戦後の「日韓基本条約」を締結。
日本は「謝罪」「賠償」する筋合いには全く無いのである。しかし、日本は、同条約の締結に際し、日本国の好意から、この日本統治時代に建設し、空襲も受けずに残ったインフラを代償を求めずに提供している。時価に換算(試算)して16兆円とも、20兆円とも指摘されている。朝鮮半島にとって、「清」への隷属に伏した約「2世紀半」と、日本の一部となった約「35年間」と比較すれば、どちらの時代が文明国家へと歩み出す基礎となったか。真正の歴史を再学習し、その上で、胸に手を当ててよく考えるべきであろう。恩義を「仇」、また「仇」で返される筋合いは無いのである。
「
千年以上の中国に対しての屈辱は教科書に殆ど記載せず恨み言も書かない
日本統治の35年間はハングルを禁止した創始改名は強制だとデタラメな嘘を教科書に数ページに渡り重点的に記載して反日
どうしてですか?