「教えてあげた」「伝えてあげた」
まず、日本との関係が最初に登場するのは、高句麗、新羅、百済のいわゆる三国時代の章においてであるが、そこに記述されているのは、なんとも恩着せがましい記述である。中学教科書はこう記述する。
百済は、「近肖古王のとき、阿直岐と王仁は日本へわたり、漢文・論語・千字文を伝えてあげ、武寧王の時に段陽爾と高安茂などが、漢学と儒教を教えてあげ、日本に政治思想を忠孝思想を普及させてあげた。つづいて、聖王の時には仏教を教えてあげ、そのほか天文・地理・暦法などの科学技術を伝えてあげた。」
高句麗も「たくさんの文化を日本に伝えてあげた」という。例えば「高句麗の僧侶慧慈は聖徳太子の師であり、曇徴は紙、墨、硯をつくる技術を教えてあげ、法隆寺の金堂壁画も彼の作品として知られている」。さらに、「新羅は船をつくる技術、ならびに堤防と城郭を築く技術を、伽耶は土器をつくる技術を日本に伝えてあげた」と記述している。
ここでいう「教えてあげた」「伝えてあげた」という韓国語の言い方は決して翻訳のニュアンスではない。これは「親が子供に、先生が生徒にといった目上の人が目下の人に使う表現」であり、実は「文化的優越感を堅持する」ため使われているのだという(小学校教科書の訳者「あとがき」)。同様の記述は高校教科書や小学校教科書にもある。その意味で、韓国では小中高一貫して古代日本文化はみんな朝鮮から伝えられたものだ、と言わんばかりの記述をまず教えられていることになるわけである。
むろん、ここで書かれていることがすべて実証された歴史的事実というわけではなく、例えば曇徴が法隆寺金堂壁画を書いたというのは明らかに事実誤認である。
◆朝鮮は文化的「優越者」
こうした「優越感」の誇示は、単に古代の文物伝搬という話に止まらない。中世・近世でも同様である。十五世紀頃に盛んだった富山浦など三港を通じての対日貿易は「日本の封建領主たちは……交易を懇請してきた。朝鮮は……朝貢貿易を許し……(李朝)朝鮮初期の交易によって、朝鮮の先進的な文物は、日本……に多くの影響を与えた」と書いている。
また、徳川幕府と李朝朝鮮との間で「朝鮮通信使」による交流があったことは知られているが、その通信使についても「……日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し、朝鮮では通信使を派遣したが、……日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった」(中学)、「徳川幕府は、先進文物を受け入れるために、……交渉を許可するよう懇請した」(高校)と書かれている。つまり、中世や近世でも、朝鮮は「先進学問と技術」をもつ先進国として描かれ、日本はその先進文物を「懇請」し、朝鮮はそれを「許可」する立場の国だったというわけである。要するに、ここに共通するのは朝鮮を「文化的優越者」と位置づけ、日本は「劣等」であるとの姿勢である。
しかし、ここでいう朝鮮の「先進学問」とは要は漢文・漢詩であり、通信使の書画をもとめた、いわばミーハー的な日本人がいたという話に過ぎない。念のために事実を記せば、中世の交易は朝鮮の綿布と日本の銅(のちには銀)との交易であり、室町前期から朝鮮側は日本の水車や和紙(彼らは倭紙と書く)の製造技術の導入をはかろうとしているが、結局は成功しなかった(下條正男氏)。「先進学問と技術を学ぼうと懸命であった」のは、むしろ朝鮮側だったというのもまた事実なのである。さらに江戸期に入ると、通信使の通訳が、江戸市街をみて「かつて見た北京にも劣らないと驚嘆した」と記していることもあげておきたい。
学校の捏造歪曲教科書 教師から洗脳される。