朝鮮戦争勃発のおさらい
1948年8月13日:李承晩が大韓民国の成立を宣言
1948年9月9日:金日成がソ¥連の後援を得て朝鮮民主主義人民共和国を成立
1948年10月:麗水・順天事件 韓国は一時内戦状態
<ヽ`∀´> 韓軍は南に移動ニダ!
1948年10月:済州島全域に戒厳令。軍事弾圧始まる
<ヽ`∀´> 韓軍は南に移動ニダ!
1948年11月:李承晩大統領は国民に対して対馬返還宣言
<ヽ`∀´> 対馬は還して貰うニダ!
1949年1月:李承晩は日本と進駐軍に対して対馬返還請求
<ヽ`∀´> 対馬は還せニダ!
1949年1月:北津戦役が終結。中国人民解放軍が北京を解放。
金日成に武力統一への大きな影響を与える。
1949年1月:李承晩は政府樹立直後の新年記者会見で日本に対馬島返還を要求。
<ヽ`∀´> 対馬はウリの領土ニダ!
1949年2月:韓国軍一斉に釜山に集結開始(南部へ韓国軍移動)
<ヽ`∀´> 対馬を奪い返す準備ニダ!
( ´∀`) :北朝鮮というあきあらかな敵が存在するにも拘らず、
内戦と日本への無意味な対抗心の為に、
南部に軍事力を集中させてしまいました
(日本へは領土的野心)
1949年3月:韓国軍は釜山で揚陸訓練開始。アメリカ陸軍第24軍は対馬上陸の為の演習と判断
( ´∀`) :釜山の軍事演習を知ったマッカーサーは激怒。
明らかに対馬を想定したこの演習は、
日本を防衛していたマッカーサーへの裏切りと判断。
軍事物資の停止、第24軍の撤退へと繋がります。
この事実、韓国では隠蔽されているようです。
1949年5月:マッカーサー李政権への軍事物資援助を停止
< ;`Д´> アイゴー
1949年6月:アメリカ第24軍本体が本国に撤退
< ;`Д´> アイゴー
( ´∀`) :韓国には国連監視団600名のみ在留。
防衛上の直接的な後ろ盾を失う
1949年12月:北朝鮮全軍が5ヶ月にわたる冬季戦闘訓練に入る
1950年1月:金日成の要請にて中国軍朝鮮籍兵士の第二次移籍を承認
<北`∀´> 中国の支援を得たニダ!
( ´∀`) :移籍部隊は14000に達し,北の全兵力の1/3を占める
1950年1月:米韓軍事援助相互協定が調印。韓国側は軍事支援強化を求めるがアメリカはこれに応ぜず
< ;`Д´> アイゴー
1950年1月:米国務長官「西太平洋の防衛線は日本・琉球・フィリピンを結ぶライン上」と発言。(アチソ¥ンライン)
<北`∀´> 米は半島を放棄ニカ?
< ;`Д´> アイゴー
( ´∀`) :朝鮮半島へ影響力放棄と北に誤認される
1950年3月:金日成、スターリンに対し侵攻時の支援を要請。毛沢東の承諾を条件に金日成の要請を受諾。
<北`∀´> ソ¥連に武器を貰ったニダ!
1950年5月:金日成、中国を訪問。南侵問題について協議し、毛沢東の南北開戦を支持と支援を取付ける。
<北`∀´> 中国に人員も武器も借りたニダ!
1950年5月:李承晩、総選挙で惨敗。
( ´∀`) :北朝鮮が明らかに戦争準備を実施している中、
韓国は産みの親であるアメリカに突き放されて行きます。
この時期に大きな朝鮮戦争開戦への原因が生まれます。
中国、ソ¥連の強固な軍事支援を得た金日成、
対して様々な我がままから、アメリカの後ろ盾を失った韓国。
しかも軍配備は南方偏重のまま
1950年6月10日:北朝鮮大機動演習を開始。全師団が南部国境地帯への移動を開始。
<北`∀´> そろそろブッ放すニカ?
1950年6月11日:韓国陸軍本部、非常警戒令を発令
< ;`Д´> アイゴー
1950年6月17日:韓国軍全軍部隊に国境地帯への移動命令
< ;`Д´> 軍は早く国境に逝くニダ!
1950年6月22日:北朝鮮軍最高司令官金日成、全面的南進作戦命令を発する。
<北`∀´> 出発ニダ!
1950年6月24日:ソ¥ウルで陸軍会館の落成式開催。韓国陸軍本部、非常警戒令を解除。
<ヽ`∀´> 酒が飲みたいから非常警戒令は解除ニダ!
1950年6月25日:北朝鮮軍南進 朝鮮戦争へ
<北`∀´> 酒飲んでる奴は屁でもないニダ!
< ;`Д´> アイゴー