追跡取材:ワーキングプア急増、韓国に300万人
1日もまともに休むことができず、手元に残るのは何もない
京畿道富川市内の屋台でフライドチキンを販売するイ・グァンイルさん(46)。
イさんは高校卒業後、衣料品関係の会社に就職、1995年にはソ¥ウル市東大門区で繊維工場を立ち上げた。
生地を工場に納品し、毎月2億ウォン(現在のレートで約1500万円、以下同じ)を売り上げていた。
その資金で、当時としてはまだそれほど普及していなかったオンラインのショッピングモールも開設した。
ところがアジア通貨危機で事業が傾き始めた。取引先の同和銀行が廃業しその影響で工場も不渡りを出した。
「絶対に復活してやる、という思いで2000年春からタクシーの運転を始めました。
夕方4時から翌朝4時までのきつい仕事で、一晩中1回も車から降りず、
ペットボトルで用便を済ませながら必死で働きました。
毎月180万ウォン(約13万5000円)ほどの収入がありましたが、体を壊したのでやめました」
その後はマンション周辺で夜に営業する市場を回りながら、衣料品やアクセサリーの販売を行った。
昨年からは夫人とトラックに乗り、首都圏のマンション団地を回ってフライドチキンの販売を行っている。
二人は毎朝10時に家を出て翌日深夜2時に帰宅する。
自宅は家賃20万ウォン(約1万5000円)の韓国式家屋だ。
京畿道富川市内のあるマンション団地でフライドチキンを販売するイ・グァンイルさん。
イさんはアジア通貨危機当時に事業に失敗し、その後10年間、タクシー運転手や市場で服を販売するなどの仕事に従事してきたが、昨年7月から屋台でフライドチキンの販売を行っている。
7月10日撮影。/写真=キム・ヨングク記者
http://file.chosunonline.com//article/2009/07/27/109352948479724941.jpg
「ここ10年は1日に6時間以上寝たことがなく、まともな休日は1日もない。
それでも生活が良くなることはなかった。
両親と夫婦、子供3人が食べて学校に行けば、それだけで手元には何も残らない。
何とか生活が維持できるだけで、一歩も前には進めない」
他人所有の建物で小さな店を営む自営業者、安月給と雇用不安に悩む非正社員、
毎晩明日の仕事を心配する臨時職。
朝から晩まで働いても基本的な生活費も稼げない「ワーキングプア」が急速に増えている。外食や休日はあきらめ、必死になって働いても、子供たちの塾の費用や光熱費、食費を支払えば通帳に金は残らない。
まさに「ゼロ人生」だ。
ピュリツァー賞を受賞した米国人記者のデビッド・シプラー氏は、「ワーキングプアとは貧困と安楽な生活の境界線に置かれた人たち」と定義した。
彼らは毎月一定の収入があって、一見すると堅実な中産層のようにも見えるが、実際は雇用が不安定で貯蓄もなく、職を失ったり病気になったりすれば、直ちに貧困層に転落してしまう。
ワーキングプアの広まりは韓国でもすでに深刻な状況にある。
韓国保険社会研究院は、毎日必死に働いても毎月の所得が4人家族基準の最低生活費 132万6609ウォン(約9万9000円)に満たない人の数が、国の経済成長率によって多少の違いがあるにしても、年末までに最低211万人から最大で 227万人まで増えると予¥想している。
2007年には156万人だったのが、わずか2年で55万人から71万人も増えることになる。
一度貧困に落ち込むと抜け出すのは難しい。2カ所でビルの清掃、さらに引っ越しの手伝いなど三つの仕事を掛け持ちするキム・オクチェさんが毎月手にする収入は110万ウォン(約8万2000円)ほど。
写真はキムさんがソ¥ウル会賢洞住民センターで清掃作業を行っている様子。
/写真=イ・テギョン記者
http://file.chosunonline.com//article/2009/07/27/848883615463098380.jpg
(>>2以降に続く)
廉康洙(ヨム・ガンス)記者(社会部) キム・ジョンフン記者 呉允煕(オ・ユンヒ)記者
キム・ドンヒョン記者 パク・スンチャン記者 ソ¥ン・ジャンフン記者 ユン・ジュホン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2009/07/27 14:55:14
http://www.chosunonline.com/news/20090727000055
http://www.chosunonline.com/news/20090727000056
http://www.chosunonline.com/news/20090727000057
韓国で生きることは人生の罰ゲームです!
来世は日本に生まれてきてください!!